アジト
喫茶店で読書をするのが好きだ。
大学時代には学校の近くに行きつけの喫茶店がいくつもあって、暇さえあればそのどこかで本を読んでいた。まだ携帯電話がなかった時代で、百裕に用がある時は学校周りの喫茶店を探すという者も何人かあったらしい。
家で一人で読んでいると、どうも世の中から取り残されたような心持ちになって来る。喫茶店で読むのが、安心して集中できる。それに優雅な時間の過ごし方のようでもある。
卒業後、就職で広島の田舎の方へ引っ越した。そこでも喫茶店読書は続けるつもりでいたのだけれど、どうも近くに手頃な店が見当たらない。
しかしH大学が近くにあるのだから、自分が見つけていないだけで、きっとどこかに学生相手の店があるはずだ。そう思って、職場へバイトに来ているH大生に訊いてみると、「この辺りにはそういう店はないですね」と意外な答えが返ってきた。
これでは大学生活もつまらないだろう。全体、本も読まずに国立大学の学生がつとまるものかと呆れたが、これは余計なお世話だったろう。喫茶店でなくたって本は読める。どうでも喫茶店で読みたい者は、最初からよその学校へ行くだけだ。
ついでに云うと、H大は自分も受験して残念ながら不合格になった。喫茶店もないようなところでは、受からなくてよかったと思う。これは負け惜しみである。
それでもどこかに一軒ぐらいはあるだろうと探していたら、駅前のビジネスホテルの中に『舞蘭』という店があるのを見つけた。
入ってみると適度に薄暗くて感じがいい。店名を最初は「まいらん」と読むのだと思ったが、ブラウンと読むのだそうだ。店のマッチに小さくBrownと書いてあった。
ちょうど寮と職場の中間で都合がいいから、出勤前に通うようになった。
ある時、舞蘭でコーヒーを飲んで、原付で出勤する途中、左目にゴミが入った。その時分にはコンタクトレンズを使っていたから随分痛くて、片目を細めながら職場まで運転した。
「お疲れ様です」と職場に入ると、東郷さんが「眩しそうな顔で走っとったのぉ」と言ってニヤリとした。売上金を銀行へ持って行った際に見られたらしい。
よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。