シンエヴァというかエヴァを初めて見た感想

全然関係ない前置き

最近服の収納方法を変えました。

今まではもう適当に服を畳んで縦に重ねてたんですけど下に積まれてる服が見えないのは不便ということに3年目で気が付きました。

で、こうしました。

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めっちゃ快適になりました。こういうちょっと頭使ったら格段に良くなること、自分の生活に無限に隠れてそうだ。

でもそういうことに気が付くのには一定の余裕が必要だなとも思う。生き急いでいるというか、現実逃避ばかりしていると、こういう現実世界の中の発見がしにくくなるのかも。


本題

大分更新に間が開いてしまいました。

一度期間が開くと再開するのが難しくなってしまうので、本格的に戻りづらくなる前に何かしら書こう、ということでシンエヴァの話をします。

前置きとして、エヴァシリーズは全然見たことがありませんでした。

今回見た新劇場版のみが自分の知っているエヴァになります。本当にちゃんとエヴァを考えるのであれば、アニメとか漫画とか旧劇場版とかも見たうえでないと語れない部分もあるんでしょう……が、『バーナード嬢曰く。』のシンゴジラのくだりに倣って図々しく考えをまとめようと思います。

自分が見たのはシンエヴァなので、シンエヴァの話をするのだ。

普通にネタバレするので気になる人は見ないでね。


とりあえず自分がシンエヴァを見ての第一の感想としては、

めっちゃおもしれ~~!!

でした。

そんな小学生みたいな感想かい、と思われるかもしれないんですが、まぁまぁいい年になった自分がこういう感情になったのは個人的には結構意外でした。

端的に言うとかなり深く刺さった作品でした。Qのあたりを視聴してるときは、あれを見たほとんどの人がそうなるであろうものと同様「???」ってなっていましたが、シンエヴァでそれも大分緩和されました。

そもそもSF的な部分に関しては雰囲気で読めとSF愛好家たちは一様に語っているし、そもそも作家だってよくわかってないと思う。

Qはそれに加えて作中で14年もたってるし、もうしょうがないよ。

エヴァに乗れって言ってたミサトさんが乗るなって切れてたり、いきなりノアの箱舟みたいな宇宙戦艦ヤマトが出てきたり、なんか使徒なのかそうじゃないのかよくわからんのに襲われてたり、地球が真っ赤になってたりしてもまぁいろいろあったんだろうで何とかなりました。受け止めよう!


メタと現実

こっからはより妄言に近いので流し読みしてください。

前述のとおりエヴァシリーズをまともに見たことが無いので多分的外れな事ばかり言うんですがそこは許してくれ~~。


多くの人が言うように、新劇場版、特にシン・エヴァンゲリオンは監督の庵野氏の物語といっても過言ではないと思う。

それと同時に、やっぱりエヴァはシンジの物語であり、「空想のキャラクターの救済」の物語だったと思います。キャラクターとして消費され、凄惨な世界で苦悩し続ける運命を背負った登場人物達が、自分たちの手でその脚本から逃れるような。


作中でアスカが言っていた「エヴァの呪縛」は、物語上で言えばそのままの意味だけれど、メタ的な意味では「エヴァという世界に現実の人々の都合で縛り付けられている」という解釈をしました。

(呪縛がかかっているのは現実のファンや監督という考察もあるみたいだけど個人的には前者を推したい)

エヴァの搭乗員達は全員が「運命を定められた子供たち」であり、彼らが大人になる(成長する)ということはシナリオ上ありえない。だから、彼らは身体的な変化をすることが許されていないのだと思いました。

(マリって子供扱いなのか?)

だから最後にシンジが声変わりしていたことでエヴァの呪縛から解放されたことが明示されてたのでにっこりしてました。

大人になれたってそういうことだと思う。


シンエヴァで言う「ゼーレのシナリオ」や「神」というのは総じて、現実で描かれるエヴァの脚本や監督自身を指していました。

つまり、シンエヴァの終盤で訪れる裏宇宙は神話の領域であり、つまるところ「こちら側の世界」になる。そして、ヴンダーによって、人の手によって作られた槍 ⇒ 鍵を用いて、シンジはまさにエヴァが作られるスタジオカラーへと最後に侵入してきた。

裏世界でゲンドウも言っていたイマジナリーとリアルの境界の話はその伏線だったんだろうなと。

彼らはこちらの世界に侵入することで脚本自体を書き換えて、自分の願いを叶えようとしていたんだという理解になっています。


この辺りのメタがラスト30分で出てきて一気に話の理解度が上がった気がします。(勝手に理解したつもりなだけなんですが)

個人的に言えば、監督はシンジ自身にエヴァンゲリオンを終わらせてほしかったのかなと思っています。もちろん脚本は監督が書いていて、シンジ自体はその通りに動いているにすぎませんが、エヴァシリーズで散々な目に合わせられてきたシンジがやることに意味がある。


感想

考察はもういろんな人がやってて今更ここに書くようなことじゃないのでこれくらいにしておきます。

単純にいえば、前述のとおり、すごく楽しめたというのが率直な感想です。

昔から自分は「空想上の世界と現実世界のつながり」というのに興味があって、それに関連する作品を好きになってきたような気がします。

なのでシンエヴァの話はかなりスッと受け止められた気がしますし、ある種親近感のようなものすら感じました。


自分は、「途中の物語」と「終わった物語」には決定的な差があると感じています。それは「物語の人物が解放されたか」という点です。

物語の途中にいる人物は、その物語の中に囚われて、その先の未来は停止した状態になると思っています。そして物語が終わって初めて、物語の人物はもう我々に語られることのない未来を生きることができるようになる、というものです。

そういう意味では、自身の選んだ選択でエヴァという箱庭から解放され、現実世界に溶ける形で終わりを迎えたエヴァはメタの中でもかなり踏み込んだやり方をしてるなと感動しました。


以上、シンエヴァの感想でした。

本当はもっと書くことがある気がするんですが、自分の中でもまとまっておらず、またそれを整理して書くのがあまりにも大変なのでざっくり割愛しました。

兎に角、記憶に残る映画だったと思います。

しかし、今から旧劇場版やアニメを見たいかといわれるとそうでもないんですよね。シン・エヴァンゲリオンの終わり方を見た後で、他の世界線のシナリオを見る気にちょっとなれない感じです。

Undertaleの正規ルートクリアした後とか、OneShotをクリアした後と同じ気分です。メタ的に過去に戻ることがちょっと気持ち悪いという。

エヴァはゲームでなく映像なので、同様のとらえ方をするのも変な話ではあるんですが。


あと、今更ながらにですが、「Q」の上映から「シン」まで9年も待ったファン、凄いな……。

自分だったら5年目あたりで続編を望むことを諦めてそうだ……。

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