この文章の出典は随筆「吉行淳之介」。 作者は安岡せんせ…こと、安岡章太郎さん。 彼自身も戦後に活躍した作家で、吉行せんせと同じく「第三の新人」というグループの1人だった。 先の文章は、吉行せんせ(吉行淳之介)の「【いい意味で】遊び慣れてる」ところ、もっと正確に言えば「他人との付き合いが上手いところ」を指してのひと言である。 文末がちょっぴり否定的なニュアンスなのは、おそらく安岡せんせに「仲良いんだろ俺ら!もっと委ねきってガツガツ来いよ、俺気にしないからさぁ」ってな感情があっ
私はかねてより、文壇…とりわけ戦後日本の文壇にいる推しを「○○せんせ」と呼んでいる。 プロフィールにもある「福永せんせ」「吉行せんせ」がその代表例だ。 ちなみに「福永せんせ」は福永武彦、「吉行せんせ」は吉行淳之介のこと。 もっと言えば「三島せんせ」(=三島由紀夫)、「周作せんせ」(=遠藤周作)、「庄野せんせ」(=庄野潤三)…なんてのもある。 では、なぜ私は「せんせ」と呼ぶのか。 なぜ「先生」ではないのか。 そこら辺には私の、彼らへの「愛の在り方」が関わっている。 私は、
写真は、お散歩しながら撮った風景写真。 表に時計が出てたり(それも2個)、なんかレトロな街灯が見えたり。「MAXM」って看板が出てたり。その「そこはかとなくちょっと前の時代を感じる」のがたまらなくて撮ったやつだ。青空とのやわらかいコントラストもまたいい味出してると思う。 こうして、散歩しながら「お?」と思った風景を撮るのが好きだ。 道行く途中で撮るのがメインだが、たまーに来た道を戻って「やっぱあれいいな!」となったものを撮ったりもする。 散歩途中に見つけたお店に入って、そ
今朝投稿した「Twitterでモラハラされた話」について。 この1件をめぐっては本当に苦しいことが多かったのだが、実はひとつ、今も「いい意味で」忘れられないことがある。 クソみたいなつらい話だけで今日が終わるのも癪なので、ここらで合わせて話しておきたい。 ※「Twitterでモラハラされた話」はこちらから読めます。何があったん?となってる方は合わせてお読みください。 話は今年の1月2日夜、私が「もう限界だ、逃げよう」とA氏を見限り、全てのSNSの更新をやめ、同好会も退会
何事においても「度を越した」ことは、得てしていい結果を生まないと思う。 私はTwitter上でとあるフォロワー(以下、「A氏」)からモラハラを受けていた。 その背景も、今にして思うとA氏から私への「度を越した」期待があったのだと思う。自分で言うのもなんだけど。 その証拠に、A氏はおそらく私にした諸々の言動を「モラハラ」とは認識していない。 今回こうして「モラハラ」として取り上げられて初めて知るだろうし、おそらく言葉にされてもなお「私はそんなことはしていない!」と否定するだ
最近…と言ってもだいぶ今更感あるが、NHKのドラマ「私ってサバサバしてるから」の網浜さんに注目している。 丸山礼さんが演じている、ちょっぴりガサツだけど、時々ネチネチしちゃうけど、何だか憎めないあの主人公だ。 「周りの評価なんてどうでもよくない?」 「そんな嘘ばっかついて、人生つらくない?」 「人からサバサバしてるって言われたくてサバついてるだけだから。『私ってサバサバしてるから!』って言いたいだけ!」 これ、全部本日放送の第15話の作中で話された、網浜さんのナチュラル
皆さま、はじめまして! 今日からNOTEを始める「セナ氏」といいます。 好きなもの(≒よく書くことになるもの)は以下の通り。 推し文豪のこと(作品の感想や本人の好きなとこ) プロレスのこと(男子は新日本、女子はSTARDOM派) 観劇のこと 日頃感じたことの備忘録 今回、この記事に付けてる写真も実は読書感想ノート(手書き)のものだったりします。 こういうのも載せていければいいなと♪ また、実はつい先月までSNS上でモラハラ被害を受けており、スマホを開くのも一時期