シングルマザーのストーリー✨『決断』
その時の私には選択の余地などありませんでした。
☆パートの仕事
☆産婦人科での仕事
☆友人の自宅サロンの仕事と出張の仕事
三つの仕事を掛け持ちする生活でしたが割合からいったらパートの仕事が主になっていたのでパートを辞めてしまうと核となる仕事がなくなってしまいます。
また、その時の私は独立するには技術的にも未熟でした。
お師匠に習いたいこともいっぱい残っています。
ここでお師匠の元を離れてしまったら私のエステティシャンとして身に付いた技術が中途半端で終わるような気がしました。
パート先から働く条件として、
産婦人科から貰っているお給料代の分を併せて私の手取りが今までと変わらないようにすることを約束され、正社員になれば保険等の保証もあるので悪くない話しだと持ちかけられました。
友人に紹介してもらった産婦人科では先生も奥様もとても良くして下さったので二年で辞めるのは本当に申し訳なく思いました。
私は産婦人科でお給料をもらえて本当に助けてもらいました。
産婦人科でのエステの提供は、
その当時なかったものを私自らが企画書を出し受け入れてもらったものです。
先生や奥様に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
また世間では私のこのアイデアが画期的なことだったのか、大阪のTV番組の『ちちんぷいぷい』が取り上げてくれて出演しました。
三つの仕事を掛け持ちして毎日が戦争のような日々でしたが有難いことに子供達の世話は母が通いで見てくれてました。
最終的に私は正社員としての道を決断しました。
パートで5年弱働いていて、この会社で正社員になるのがどれだけ困難な状況が待ち受けているかも痛いほど分かっていました。
精神的にも肉体的にも過酷な生活が始まる事は正社員を選んだ時点で覚悟していました。
しかしあえて困難な道に飛び込むのは、エステティシャンとして独立するためには尊敬するお師匠の元で技術を学び修行することが何より大切なことだと分かっていたからです。
どのような技術でも言えることですが、誰の元で学ぶのかでその後の人生が後々まで大きく変わります。
一流のエステティシャンになり独立する事が私の夢でした。
とはいえ三人の生活を支える為には生活費を稼がなくては生きていけません。
母子家庭で二人の子供を抱え、
慰謝料も養育費もなく親からの金銭的な援助もなく生活費を捻出し自分の夢も捨てない為には人の何倍も働かなければ実現しないことは心得ていました。
短大を卒業して半年で仕事を辞めて花嫁修業後に結婚。仕事も殆どしたことがないままに出産、子育て、離婚。
母親になっても誰かに依存しなければ生きていけないような私がここまでの覚悟を持って出来たのは何がなんでも二人の子供を育てなければならなかったからです。
大人になるということは自分の足で立っていかなければなりません。
他人は誰も生活を助けてはくれません。
友達や知人から色んな有難いアドバイスを貰ったとしても誰も私達三人の生活費を持って来てくれる人はいないのです。
ここから先は私が予想した通り想像もつかぬほどの生活が待ってました。
(続く…)
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