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【小説】カセットテープなカフェバー【6】

翌日、朝から忙しかったカフェも、ようやく落ち着き出した午後2時過ぎ。
私はオーディオ機器の電源を入れ、来るべきその時刻を待つことにした。
30分ほどが経ち機器が暖まり出した頃、扉が開いた。
「いらっしゃい。ちょっと早すぎないか?仕事はどうしたんだ?」
オレンジのダッフルコートに、黒のミモレ丈フレアスカート姿の優子だった。
「だって、お店に着いたらテープチェックが終わってた、なんて事になったらイヤだもん。だから、午後からお休み貰って来たの」
そう言って、小さく舌を出して笑った。
「じゃ、慣らし運転で音出しするから、準備ができるまで珈琲でもどうぞ」
優子がカウンターで珈琲を飲んでいる間、レコードを流した。
そして、全ての機器が暖まり、準備万端整った。

昨日、野呂が持ってきたメタルテープを、改めて見つめてみる。
彼の情熱を同情で受け入れたりはしないが、断った時点でメタルテープの生産は永久になくなってしまう。
非常に強いプレッシャーを、私は勝手に感じてしまっていた。
いよいよ、NAKAMICHIのカセットデッキ、1000ZXLにカセットテープを入れた。
ABLEシステムで、キャリブレーションを最適化した。
優子に向かって声をかけ、録音を開始する。
私もカウンターに戻り、目を閉じて聴いてみる。
YAMAHAの名器であるモニタースピーカー、NS-1000Mから出るレコードの音は、いつもと変わらない心地よさだった。
一通りの録音を終えテープを巻き戻していると、入り口の扉が開いた。
「いらっしゃい」
3時の常連客だった。
「いつもの珈琲と、あと、何でもいいから1曲よろしく」
定年退職後のスローライフを楽しんでいるであろうこの紳士は、いつも3時頃にやって来る。
こういうお客は大切にしなければいけない。
新作メタルポジションの録音結果が気にはなったが、ここはカフェバー。
お客が最優先なのだ、と自分に言い聞かせる。
「お待たせしました」
テーブル席に座る彼に、珈琲を持って行く。
そして、私はさりげなく話す。
「さっき、録音したばかりのメタルテープがあるのですが、それでもいいですか?」
録音したばかり、と言う言葉を強調する事でテープチェンジをしなくてもいいようにと考えたのだ。
最適な状態で音質をチェックしたいので、アジマスが少しでもズレないようにと祈りを込めた一言だった。
「お任せしますよ。このお店のテープなら、何を聴いても心地いいだろうから」
常連客の嬉しい一言だったが、今回のテープは気になるテストテープなのだ。
結果は、誰も知らない。
優子に目で合図し、私は祈るような気持ちで、この世界最高峰の録音機、1000ZXLの再生ボタンを押した。
しばらくして、レコードから録音されたテストテープの音楽が流れ始める。
私は目を閉じ、身体全体で音を感じる。

気が付くと、既に5分も経過していた。
優子を見ると「うんうん」と、何度も頷いている。
申し分のない出来だった。
原音忠実、静寂、広がり、奥行き、余韻、ダイナミックレンジ。
まさに、非の打ち所がなかった。
1990年代、次々とデジタル化へと移行していくユーザーに対し各カセットテープメーカーは、より高音質なメタルポジションテープを挙って開発し発表した。
その実力は、20数年経った今でも驚かされるし、感動もさせられる。
先日、島村に渡したカセットテープもそんな中の一つ、TDKのMA-XG Fermoだった。
MA-XG Fermoは、高性能なメタル磁性体【ファイナビンクス】を高濃度、かつ、ダブルコーティングした最高品質のメタルポジションテープだ。
しかも、ウェイトを入れているため重量があり、結果として、ハーフが動き辛くなりアジマスやワウ・フラッターを安定させる機能を持っている。
ただ、今再生しているテストテープは、当時のその高い性能を超えてしまっている。
このテープは性能が高すぎるが故に、普段使いには向いていないばかりか扱えるカセットデッキを選ぶ事になるだろう。
まさに、採算度外視である。

「このテープがいい」
無意識に呟く私の中に、熱いものが込み上げてきた。
そこで、ふと、問いかけられる。
「どう?」
優子の潤んで輝く瞳が、私を見つめる。
それは、黒曜石を思わせるほどの綺麗な瞳だった。
「これなら大丈夫。断る理由が思いつかないよ」
2人で見つめ合い、頷き、そして、微笑みあった。

そんな中、奥のテーブル席から立ちあがり、こちらに歩いて来る人影が見えた。
「えーっと、あのー」
3時の常連客だった。
「聞き間違いじゃなかったら、さっき、録音したばかりのメタルテープって言っていたよね。まだ残ってるなら、少々譲って貰えないかな?」
聞くと、今でも自宅でたまにカセットテープを使っているとのことで、いいテープがあれば使ってみたいと思っていたと言う。
私は簡単に事情を説明し、テストテープであるため今はまだ提供できないことを伝えた。
「そうでしたか。失礼ですが、お店に通っていてこれまでで一番いい音が表現できていたので興味を持ちました」
そう言うと、商品化されたら購入したい旨を申し出て、3時の常連客は帰って行った。

「なんだか、ホッとしたわ」
優子が涙目になっていた。
「かなり心配させてしまったようだね、ゴメン。もう大丈夫、思った通り、いや、それ以上の音質だ」
そう言いながら、私は優子の頭の上に手を置き、栗色のセミロングの髪をクシャクシャにした。
「んーっ!もうっ!」
優子は怒っていたが、私は笑いながら言った。
「何が飲みたい?ご馳走するよ」
お詫びの印というわけでもないが、飲みたい気分だった。
「ウイスキー。店で一番高い奴をダブルで」
今度は優子が笑い、私は無表情になる。
次の瞬間、2人で声を出して笑っていた。

そして、翌日。
早速、野呂に連絡を入れたのだった。

つづく

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