見出し画像

【小説】カセットテープなカフェバー【1】

別に、お客がいないわけじゃない。
ここは心地良く音楽を楽しむため、それ以外は静かさを売りにしているカフェバーだ。
店内を見渡すと、さっきまで居たのに、あ、手洗いから戻ってきた人生の先輩系お客が1人。
恐らく、どこかの会社を定年退職して、スローライフを楽しんでいるのだろう。
このお店の常連でもある彼は、ほぼ毎日午後3時頃に来店する。
店が一番空いている時間帯に来て、決まってこう言うんだ。
「何でもいいから、1曲よろしく」
ここはカフェバーだが、その前に「カセットテープを楽しむ」という言葉が付く。
マスターである私は、1本のカセットテープを取り出しナカミチの1000ZXLに差し込んだ。
今日は、ヴィラ=ロボスの練習曲第1番にしてみた。
クラシックギターが奏でるアルペジオが心地良い。
音の粒全てが感動の衝撃をぶつけて来た。

短い曲ではあったが、彼は満足してくれたようだ。
このお店は飲食よりも音響を楽しむことを優先して建てられていて、コンクリートの打ちっぱなしは床にまで徹底している。
そのため、音の反響を楽しむには良い環境だと信じている。
いつもの調子を保つために1000ZXLの消磁をしていたら、次のお客がやってきた。
「いらっしゃい。久し振り」
こちらも、ちょくちょく来てくれる常連さんの香山優子だった。
栗色でセミロングの髪から、チラリと見える金のピアス。
明るい青色のジャケットに、白のフレアスカートの装いだった。
彼女が来るときは、相談を持ち込む事が多い。
 そして、彼女はいつもこれに決まっている。
「アメリカーノでいい?」
「ええ。お願い」
 いつも通り、エスプレッソにお湯を注ぐ。
 アメリカンとはまた違う、スッキリ感を楽しむことができるアメリカーノを優子は好んでいた。
 アメリカーノを、彼女の前に置く。
「マスター、今度のクライアントはオーディオが趣味らしいの。それもカセットテープですって」
私は久し振りに面食らった。
オーディオが趣味の人は多い。
しかし、カセットテープが趣味となると、なかなか見つけられないものだからだ。
優子は広告代理店の営業マンで、今回は広告出稿者をインタビューして記事にするという。
優子が続ける。
「私もCDなら適当に話を合わせられるんだけど、カセットテープとなると分からなくてダメ。まるでお手上げだわ。マスター、助けて?」
「一夜漬けでカセットテープの知識は習得できるものじゃないから、インタビューはうちでやったら?何かしらのフォローができるかも知れない」
そう言うと、優子は満面の笑みで
「その言葉、待ってました。正直なところ、四面楚歌を通り越して八方塞がりだったのよね。マスター、当日はよろしくね」
毎度毎度、優子の笑顔にコロッとやられてしまう。
男とは悲しい生き物、それは本当なのかも知れない。

それから2週間ほどが経った今日、優子がクライアントを連れてくる事になっている。
約束の時刻、3時が近づいていた。
店内にはお客が2人。
いつも3時頃やって来る常連さんと、会社員風のお客だった。
まさか、会社員風のお客がインタビューを受けるために、優子よりも先に来ているのだろうか?
そう思った矢先、優子がクライアントを連れてやってきた。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?