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【小説】カセットテープなカフェバー【3】

「あのー、私、こういう者ですが・・・」

いつも3時頃に来るお客はさっき見送ったのだが、もう一人いたことをすっかり忘れていた。
差し出された名刺を見ると、日本マグネティックマテリアルズ営業部長、野呂康浩と書かれていた。
中肉中背、50代半ばといったところだろうか。
きっちりスーツを着こなしているところは、頭の賢さを演出させているように見えた。
「大変失礼かとは思ったのですが、先ほどの商談を遠くから見せて頂いておりました」
野呂はいわゆる磁性体メーカーの部長だが、大のカセットテープ好きという事だった。
カセットテープの奥の深さに惚れこんで、今の会社に再就職し現在の地位に就いているという。
この日、野呂はインターネットで店を知り、興味を持ち来てみたそうだ。
そして、島村と話す私を見て、私のカセットテープへの熱意が本物だと感じ、嬉しくなって話しかけたというのだ。
「で、唐突なお話で申し訳ないのですが、高音質な生カセットテープをオリジナルでお造りになりませんか?」
「オリジナル、ですか?」
「ええ。ご存知の通り、現在のカセットテープは音質を求めるレベルではなくなってきています。貴方の様に、本来の楽しみ方をしている人には、是非とも高音質なカセットテープを求めて頂きたいのです」
野呂の言葉に、嘘は感じられなかった。
やはり、見た目というのは大切なものだ。
「ただ、そうなると、私が作りたいのはメタルポジションという事になります。このご時世でカセットテープ用のメタルポジション磁性体を製造しているメーカーを、私は聞いたことがありません。もし、製造していたとしても、メーカーから求められるロットを発注できるゆとりもありませんよ」
もちろん即断即決もないので、考えておくとだけ答えておくのが精一杯だった。
野呂は、引き下がらなかった。
試作用であれば少量からの受注が可能である事、約30年前に製造された最高級のメタル磁性体が出荷直前にキャンセルとなり今もなお会社の倉庫に眠っている事、この業界は情報管理が大切なため今後は会社名を伏せて個人名でやり取りとする事などを私に提案し帰って行った。

「で?どうするの?」
見ると、カウンターに入って珈琲を淹れる優子が、いかにも興味津々という感じで聞いてきた。
「どうするもないだろう。それより、勝手にカウンターに入るなよ」
「だって、何度も呼んだのに振り向いてもくれなかったんだもん」
優子は小さく舌を出した。
改めて、珈琲を飲みながら落ち着きを取り戻した。

磁性体。
それも最高音質を再現できるメタル磁性体は、純鉄が材料になっている。
そのまま放置しておけば酸化による発熱で火災がおきてしまうため、保存方法も重要だが消防施設まで必要な大事業となっている。
それを30年も保存?
話半分の夢物語として扱うのが得策だろう。

そして、その数日後。
店の扉が開いた。
香山優子だった。
緑色のワンピースの足首に、金のアンクレットが目を引いた。
「いらっしゃい」
そして、すぐ後ろに島村がいた。
「島村さん!」
「いやぁ。もう一度来たいと香山さんに言ったら、連れて来てくれたんですよ」
早速、ブレンドを淹れた。
「で、いかがでした?この間のメタルテープの音質は」
島村は満面の笑みで
「静寂とは良く言ったものですね。レコードからクラシックを録音してみたのですが、その場の雰囲気が目に浮かぶようで、まるで音の粒のシャワーを全身に浴びているような体験ができました」
乙女チックな感想をオヤジから聞くとは、開いた口が塞がらなかった。
それを良しと思ったのか、島村が続ける。
「マスターのセンスが良く分かる1本でした。このテープなら、私もストックしておきたかった。まさに孤高のテープですね。今となっては手に入らないのが残念です」
どうやらカセットテープではなく、私が褒められているような錯覚に陥りそうだ。
会話に圧倒されていた優子が、やっと口を挟んだ。
「忙しそうだから、自分で珈琲を淹れに行こうっかな」
そう言いながら、カウンターの中へ入って行った。
「おい、珈琲を淹れるのは、こっちの仕事だよ」
慌てて追いかける。
すると優子が私の耳元で、島村には聞こえない程度の声で囁いた。
「せっかくだから、オリジナルカセットテープの事、相談してみたら?あの人、お金持ちだよ」
そう言うと、優子は
「ごめんごめん。じゃ、とびっきりの珈琲をお願いしますね」
そう言って、カウンターから出て行った。
確かに一人で考えるより、多い方がいいに決まっている。
ただ、野呂からは隠密にと言われているため、詳しい話はできない。
程なくしてリクエスト通り、とびっきりの美味しいコーヒーを淹れてやった。
優子はまさにご満悦の様子だ。
私は島村に、話せる範囲で先日の出来事を掻い摘んで話した。
島村は、驚きを隠せないという顔で、
「正直な感想を申しますと、話がうますぎると思っています」
「と言いますと、島村さんはこの話が詐欺かも知れないと?」
「ええ。ただ、マスターが人を引き付ける力がお有りなのも理解できます。きっと、その力が導いた結果でもあるのだろう、とも考えてもいます」
島村はしばらく遠くを見つめていたが、やがて意を決したようにこう続けた。
「いいでしょう。マスターが作るカセットテープ、とても興味がある。それ以上に使ってみたいじゃないですか。あの静寂性を超える表現力を創出して貰いたいですね。私は貴方のカセットテープ購入者第1号になりますよ」
他にも、オーディオ仲間に声をかけ、お客になって貰うと約束してくれた。

島村が帰ってから、しばらく考え込んでいた。

つづく

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