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1球目|娘に三輪車を買う・4 菊地家

 翌日。私たち家族3人は、朝から出かけた。
 彩菜が、いつしか連れて行った事がある綾瀬の運動公園で遊びたいと言い出したからだ。
 我が家からはそう遠くはない。だが、昨日とは打って変わっての快晴に恵まれたおかげで、道中はとても渋滞していた。公園に着いてからの駐車場待ちも含めて1時間半ほどかかった。

 そこは米軍厚木基地に隣接したとても大きな公園で、良く晴れた土曜日は、同じく小さな子供を連れた親子が訪れていた。一瞬でも目を離したら、彩菜なんてすぐに行方不明になってしまいそうだった。
 私は、小1時間、スマホで写真やムービーを撮りながら、彩菜のアクティビティに付き合った。少々息を切らせたその後、保護者の役割を妻の恵理と交代し、私は空いているベンチに座る。
 離着陸の演習でグルグル周回して飛ぶ大型輸送機を頭上に仰いだ。非日常の近い高さを車輪を格納しながら飛んでゆく。私は飛行機が好きだった。

 午後になり、できるだけ日当たりの良い場所を探し、黄色く乾燥した芝生にレジャーシートを敷いた。恵理が早起きして作ったサンドイッチのバスケットを三人で囲む。
「いただきます!」
『いただきます!』
 慣習に従って彩菜が号令した。
 食べた後はろくに食休みもさせてもらえず、日が傾くまで飽きることなく同じ遊具を何周もループした。気が付けば、すでに15時半だった。

 帰り道、厚木のトイザらスに立ち寄った。その公園から一番近い店がそこだった。
 子供にとってはスペシャルなコースだ。心ゆくまで珍しい遊具で遊び倒した後は、誕生日プレゼントに待望の自転車を買ってもらえる。(どうせ乗りこなせない事に癇癪を起こすだろうから、中村さんから聞いた、三輪車からステップアップできるという例のアレを選ぶつもりであるが)
 そして数日後には、サンタさんから、おままごとの《メルちゃんのウサギさん美容室》を届けてもらうというビッグイベントが控えている。
 昨日の晩に、「お手紙を書いてお願いしちゃった」と、恵理と一緒に言い聞かせてある。もう変更はできないという事は理解しているはずだ。無理を言ったらサンタさんが困るとダメ押しして了解してもらった。
 だから今日は、それ以外のコーナーで、キリがない数のサンプルおもちゃで、飽きるまで思う存分に遊び尽くしてもらえたらと考えている。
(メルちゃんコーナーからは遠ざける必要があるが、そこは恵理の誘導手腕にかかっている)
 1年の内の美味い部分をギュッと凝縮した様な数日間だ。なんてスペシャルな事か。羨ましい。私ぐらいの歳になると、会社から報奨金を貰ってもも、そんなにはワクワクできなくなっている。

 しかし、開幕早々、作戦に問題が生じた。

 トイザらスに着いてすぐ、中村さんから聞いた例の変形三輪車の特徴を、近くにいた女性店員に告げた。すると、有るには有ったのだが、青い色しか在庫が無いと言うのだ。
 その他の色(他にピンクとオレンジがあるらしい)は、注文しても年内に入ってくる事はなく、再入荷は年明けになるらしかった。

 その商品の名前は《へんしん!サンライダー》。箱側面の説明書きを見ると、確かに成長に合わせて三輪を二輪に改造できる物のようだ。恐らく中村さんの言っていた物はこの商品の事だろう。

「アヤ…。青しか無いんだって」
「やだ。ぴんくがいい!これ、みかちゃんのとちがうもん!」
 想定はしていたが、《ストライダー》ではないので案の定ゴネた。
「これね。ほら、みてごらん。ミカちゃんと同じのに変身するんだよ!すごくない?」
 妻も、2人で内密に話し合った計画通り、《へんしん!サンライダー》に興味を寄せるようにアシストしてくれた。
 何としてもこの言い分は通そうと思った。せっかく買っても、しばらく無用の長物として埃を被るくらいならば今は買わないほうが良い。とは言っても、年内に入荷されないのならば、どの道、今は手に入らないのだが…。

 私は、すがる思いで店員にお願いしてみた。
「ダメ元でお願いするんですが、多摩境にある店に在庫を問い合わせてもらっても良いですか?」
「あ、そうですね。はい。有ると良いですが…。少々お待ち下さいね」
 少々慌てた様子で、その若い女性店員は小走りでバックヤードに消えた。

 その店員が戻って来るのを待つ間も、彩菜は「みかちゃんのとおなじのがいい!」の一点張りだった。
 彩菜にそう言われ、私も《ストライダー》と《へんしん!サンライダー》はどう違うのか少し気になった。
 きっと同じカテゴリーであろうと当たりを付けて、その売場周辺を探してみた。だが、どこを探してみても《ストライダー》という商品を売り場で見つけることはできなかった。

 程なく、あの女性店員が残念なお知らせを持って戻ってきた。
「すみません…。只今、多摩境の方に問い合わせてみたのですが…。残念ながら全色売り切れみたいで…」
「え~!アヤ。ピンクがほしかったのにー」
 彩菜は今にも泣き出しそうだ。その女性店員と私たち、大人3人は困った顔を互いに見合わせた。正直、どうしたら良いのか対処が思いつかない。
「他の店にも問い合わせてみますか?」
 すかさず女性店員は言った。だが私はそれを断った。

「因みになんですけど。《ストライダー》というのは有ったりしますか?」
 その状況であってもそちらを買うつもりは無かったが、興味本位で聞いてみた。
「あ、すみませんお客様…。そちらは先週には売り切れてしまっていて。後はクリスマス直前に予約分しか入荷する予定はなく…。大変申し訳ありません」
 よほど人気商品なのだろう。その若い女性店員も、商品名を聞いただけでその在庫状況をPOSを通さずとも把握していた。
 私と恵理はため息をついた。同時に、とうとう彩菜はシクシクと泣き出してしまった。

 私は咄嗟に、代替案を彩菜に提示してみた。それはもう苦肉の策だった。
「それじゃあさ!アヤ。自転車の方をサンタさんにお願いする事にして、今日は《メルちゃん》をパパが買ってあげる。そうしよう!」
 言ってみてからすぐに(しまった!)と思った。
「少々お待ちください。在庫を確認してみますね」
 その女性店員はすかさず売り場へ確認に向かった。迂闊だった。まず店員に在庫を確認してから言ってみるべきだった。これもまた、同じく売り切れている恐れがあるという事にまで気が回らなかった。

 だが、それは杞憂に終わった。幸い、お目当ての《メルちゃんウサギさん美容室》は充分に在庫があるようだった。
 女性店員が抱きかかえる、《メルちゃんのお人形》と《ウサギさん美容室》のセットを見て、彩菜はどうにか泣き止んでくれた。私と恵理はお互いに顔を見合わせホッと胸を撫で下ろす。
 ただ意外な誤算があった。《メルちゃん》のお人形と《ウサギさん美容室》はそれぞれ別の商品だったのだ。だが、まあそれは仕方がない。娘に社会の都合で我慢をさせてしまったという負い目が有る。
 それに、その事実を今知ることになってかえって良かった。
 もし問題なく今日この日に《へんしん!サンライダー》を入手することが出来ていた場合、私はクリスマスプレゼントで、間違いなく《メルちゃん》を買い忘れる。ヒロイン不在の《ウサギさん美容室》を開いた時の、彩菜の落胆ぶりは想像に耐えない。
 そう。この結果で良かったのだと自分に言い聞かせる。

 これにより、プランとして、とりあえず腹痛を訴え出るクサイ芝居をする必要がなくなった訳だが…。替わりに、クリスマスまでの1週間で《へんしん!サンライダー》のピンクを調達しなくてはならなくなった。
 恵理に「大丈夫なの?」と耳打ちをされたが、「大丈夫だよ。多分」と彩菜に聞こえない様に、同じく耳打ちして返した。
 それには一案があった。新品はもう用意してあげられない。それはやはり心苦しい事だったが、この際仕方がない。昨日、坂下が言っていたように《ヤフオク》で探せば、中古ではあるがその目当ての品物は見つかるだろう。そして段取り良く、帰ってからすぐに探し出して注文すれば、何とかしてクリスマスまでには手に入れる事ができるはずだ。

 彩菜に見つからないように回収する手段も、きっと何とかなる。恐らくだが、郵便局だか配送センターだかは分からないが、頼めば局留めにもしてくれるだろう。
 何なら、出品者にお願いしてみたらどうか?ラッピングしてもらってクリスマス当日に配送指定にしてもらうとか?いや…それは難しい注文か。

 当日までに、また一波乱ありそうだったが、どうにかなりそうだ。もう余計なことを考えまいと、その作戦1点に絞ってそう算段を立てた。その時まで、まさかあのバックアッププランを本当に使うことになるとは思ってもみなかった。

 帰りの渋滞の中、母子2人は、後部座席でスヤスヤと寝息を立てていた。
 彩菜は、不織紙の赤い巾着ラッピングに包まれたメルちゃんの箱を抱えている。とりあえずは満足そうだ。
 一瞬ニコリと口角が上がるのをバックミラー越しに見た。夢見るのは抱えるメルちゃんか、それともピンクのサンライダーか。

こんな私にサポートしてくれるなんて奇特な方がいらっしゃいましたら、それはとてもありがたい話です。遠慮なく今後の創作の糧とさせていただきます!