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【ネタバレ有】“ありがとう”と“さようなら”を。

※この記事では『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレをしています。観ていない人はご注意を。

『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズ放送時、私は5歳だったのでそこまでよく知らなかった。高校2年生のときに序が公開されるも地元に映画館がなく、大学に入ってから序をDVDで観た。私にとって破が劇場で観る最初のエヴァであり、Qは公開日を含め、3回劇場で観た。

Qを約8年前に観て以来、TVシリーズも追って観た。5歳では当時の熱狂や答えの出ない考察を繰り返していた時代を肌で味わえなかったのが悔やまれるとさえ思った。

そんなエヴァンゲリオンは、2021年3月8日(月)に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で完結した。本当に、終わった。上映後の“終劇”の2文字を観て、そんな実感がじわじわとわいた。TOHOシネマズ府中、AM7:00スタートの回において上映後には拍手が起きていた。

呪縛から解き放たれた

まず最初に思ったのは、そんなことだった。

Qで、アスカは自分とシンジの外見が14歳から変わっていないことを説明するのに“エヴァの呪縛”という言葉を使っていた。多少メタ的な見方にもなるけれど、“エヴァンゲリオン”に捉われている観客もある意味で“エヴァの呪縛”にかかっていたとも解釈できる。

また、言わずもがな誰よりも“エヴァの呪縛”に捉われていたのは、庵野監督だろう。エヴァTVシリーズが終わった後、Q公開後に庵野監督は精魂尽き果て、深刻な鬱状態にあったという。

2012年12月。エヴァ:Qの公開後、僕は壊れました。
所謂、鬱状態となりました。
6年間、自分の魂を削って再びエヴァを作っていた事への、当然の報いでした。

Qは、確かに難解だった。ネットでは結構な罵詈雑言も見かけた。私自身もQ、3回劇場で観てもわけがわからなかったもんな。

そんななか『シン・ゴジラ』という大名作の制作、はたまた『風立ちぬ』の出演を経て庵野監督は戻ってきた。

『シン・エヴァンゲリオン』のラストシーンは、エヴァが存在しない世界のシンジとマリが宇部新川駅のホームから階段を駆け上がり、宇部新川駅の実写映像に切り替わる。大人になった描写からエヴァ搭乗者の子どもたちが、フィクションから現実に切り替わった演出で観客の私たちが“エヴァの呪縛”から解き放たれた瞬間だった。そしてようやく“エヴァンゲリオン”という作品に幕引きができたことで、庵野監督自身も“エヴァの呪縛”から逃れられたんだろう。

個人的には、大人になったシンジくんを担当したのがまさかの神木くんだっったのが驚きだった。昨今では『君の名は。』をはじめ声優業でも活躍している神木くんだが、まさかそうくるとは。エンドロールの「神木隆之介」の文字を見て内心「ワー!!!!!!!!!!!!」となっていた。単純に大人になって声変わりをしたシンジくんという演出なんだろうけど、そこで誰をキャスティングするか、結末であるだけにかなり難しかっただろう。そこで神木くんを選ぶあたり、何も間違っちゃいない。

“生きていく”ということ

旧劇でも「現実に帰れ」的なことはメッセージとしてあったけど、今回の新劇では「辛いこともあるけど、俺たちは現実で生きていかなきゃいけない」という歩み寄りもあったように思った。それが、第三村を舞台にした日常パートだろう。

Qでは明らかに死んだような描写がされていたトウジや行方がわからなかったケンスケ、委員長たちが拠点にしている第三村では、ニアサードインパクト後に生き残った人たちが身を寄せ合って生きていた。食糧は配給制で、決して裕福な生活環境とは言えないものの、汗水たらして農業を行い、風呂に入り、図書館で本を読みながら暮らしている。そんなたくましく生きている人たちの温かさに触れ、人間らしさを取り戻していく綾波のそっくりさんが愛おしかった。

破でも綾波はシンジの作った味噌汁をきっかけに料理を練習するようになり、食事会を企画していた。私は過酷な運命を背負った少年少女が束の間の日常で年相応の反応を見せたり、学びを得るシーンに弱い。本当だったら、そんな日常を送るのが当たり前だったのにな……この後つらいことがあるのは目に見えてるけど、せめてこんなときくらいは穏やかな日々を送ってくれ……となるのだ。

まさに東日本大震災から10年が経とうとしているが、フィクションでも、この10年で生きていくことの意味について描いたものがぐっと増えたように感じる。

“ニアサードインパクト”という危機を乗り越えながら、それでも生きていかなければいけないという第三村のパートは、東日本大震災から10年を迎える観客に向けた激励でもあるのかもしれない。

また、第三村は他の居住地と交易をしながら生き延びている〜っていう説明があったけど、これってまさに『DEATH STRANDING』なんだよな。分断された人と人がつながりながら生きていく……最近人から聞いた話ではデスストがPC版で出たとき、このご時世なのもあって売り上げがPS4版よりも伸びたとか。

今日からはエヴァのない世界を

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』をもって、おそらくエヴァの新しい物語は今後描かれなくなった。文字通り、今日からはエヴァのいない世界になったのだ。

「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」とあるように、すごく寂しいけど、私たちはエヴァのいない世界を生きていく。アヤナミが学んだ「ありがとう」と「さようなら」を作品と作品に携わった人に贈りたい。

いただいたサポートでより良いものを書けるようがんばります。