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雑というより逞しさを感じます。[くま日誌]229号


昨日、アマゾン内を徘徊していたら、以前、みたことのある商品を見つけました。以前は、日本語がめちゃくちゃで翻訳ソフトにかけて、そのままのものって感じだったんですよね。

それが昨日見たら、ちゃんとした日本語になっていました。

この姿勢、見習う必要あると思うんですよ。最初は完璧を求めず、兎にも角にも商品をリリースしてみる。翻訳ソフトでも、まぁ内容は分かりますから、実際の問題はない。

その後、徐々にリリースが集まってきたり、売上が立つことが分かってきたら、走りながら修正をかけていく、という感じですよね。


雪だるまも、最初小さな種から始まり、ゴロゴロと転がしていくうちに大きくなります。同じメカニズムで、最小限のシステムをつくり、あとは少しづつ拡張させていくようなイメージでしょうか。


少し話は変わるのですが、今、自分も、ある程度仕組みができあがっている構造物よりも、もう少し大きな構造物を作りたいとなと考えています。

こういうことって、「未来を生きる」ことと強く関係していますよね。未来から考えると、構造物とかシステムというものを自分で構築しない限り、自分の目標を達成することはできないんですよね。

構造物というのも、大小だったり拡張性というものがあったりするように思います。


問題に向き合い、原因/解決策を考えることは、簡単なようで意識をしないと中々できないことなのかもしれません。どうしても問題の解決策を自分の外に探しに行ってしまいがちなのですが、改めて自分の頭で考えることの大切さを意識しています。

自分の場合、これまで自分の外にある情報に解決策を求めてきたように思います。

例えば、資格試験の勉強、とかですね。


資格試験という枠組みはすでにあり、その試験にパスするために外から情報を集めてきて、自身にインプットするという形です。それをそのままアウトプットできれば試験をクリアできるという具合ですよね。

これも確かに試験という課題が目の前にあり、それを解決するために学習するわけですが、クリエイティビティはほとんど発揮する必要はないんですよね。

学校の勉強方式という形ですが、この方式が私たちの中に染み込んでしまっているが故に、自分の頭で課題の解決策を抽象度を上げて考えるということが難しくなっているのではないでしょうか。


一方で自分の人生の課題に関しては、自身のクリエイティビティを発揮し、抽象度を上げて課題を言語化する必要がありますよね。

このあたりがまさに今、自分が取り組もうとしている事で、外からではなく、自身の頭を使って課題と解決策を考える、ということを意識していきたいと考えています。

そういう自身の課題と相まって、冒頭のアマゾンで雑な日本語で商品をリリースしてみている会社さんに、雑さというより、逞しさを感じました。


■まとめ
・構造物を作る際は、多少問題があっても大勢に影響がなければ、攻めていくという逞しさが必要である。

・そこで雪だるまの種をつくり、転がしていくうちに市場の洗礼を受け、磨かれ、洗練されてくるのではないだろうか。


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