「〇〇さんを助けてあげたいんだよね」[くま日誌]291号
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本当に「どこにフォーカスするのか」という問題は人生を左右するほどのインパクトがあるんですよね。
物事は常にどこから光を当てるかによって、全く違う心象になります。
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もちろん仕事においても、常にプラスの側面に意識を向けることが大切なことだと思っています。仕事というのは「お客様への価値提供」ということですので、常に「顧客に最大の価値を提供をしていく」ことにフォーカスをして仕事をしていくべきだと考えています。
一方で、フォーカスの部分を例えば「いかに最低限、お叱りを受けない程度の期待値を超えてサービスを提供する」という言葉を回してしまっている方も中にはおられるように思います。
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これにはそうする理由もあり、例えば「仕事を受注する」というのは、もちろんビジネスパーソンにとって社会に対して価値を提供できるというプラスの側面がある一方で、満足していただけるだろうかという気持ちだったり、リソースが足りない状況であればどのようにそれを工面すればいいのか、という心配や不安も同時に発生することもあるのではないでしょうか。
ビジネスには現実的に、このようなシビアな側面もあるために、先ほどの「いかに最低限、お叱りを受けない程度の期待値を超えてサービスを提供するか」という言葉を回してしまうことに繋がってしまうんですよね。
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先日、自分の友人は仕事を受注することを「〇〇さんを助けてあげたいんだよね」と表現していました。これまで自分は仕事を受注することにそのような言葉を当ててはいなかったので、ハッとした気づきがありました。
これを応用バージョンとして、「〇〇さんの笑顔が見たいんだよね」や「〇〇さんに喜んで欲しいんだよね」という言葉を当ててみるのはいかがでしょうか。
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このような言葉を当てることで、「常に仕事は人助けである=価値提供である」ということに(自動的に)フォーカスすることができるのではないでしょうか。
先ほどの「お叱りを受けない程度の仕事」という言葉は私たちに、先方への価値提供という仕事の側面を忘れさせてしまいます。サービス提供の代価である金銭の授受というのも、もちろん副次的には発生しますが、やはり意識としては、「圧倒的に満足いただける価値を提供する」というところにおいて仕事をしていきたいですよね。
■まとめ
・仕事とは「お客様への価値提供」と定義することができる。しかし不本意ながら、様々な環境的の制限により「最低限の期待値を超えること」という言葉を回してしまっている方もおられるだろう。
・そのようなケースでは「〇〇さんを助けてあげたいんだよね」「〇〇さんの笑顔が見たいんだよね」「〇〇さんに喜んで欲しいんだよね」という言葉を意識的に使ってみるのはどうだろうか。
・本質的には人間は本能的に人助け(=価値的)をしたいと考えてるものであり、これらの言葉により、そこにフォーカスすることができるのではないだろうか。