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⑦そもそも一月万冊の「毒親配信」はどうして始まったのか?

女性スタッフの死がなければ「新たな出版ビジネス」が頓挫することもなかっただろうし、裁判も起きなかった。事件のせいで全ての計画が狂ってしまったのだ。

多くの人が亡くなった女性の「毒親配信」を取り上げているが、女性がプライバシーを公にすること、特にネガティブな過去(レイプ未遂)や家族の問題を顔出し実名で公表する利害を考えると、彼女がした選択は理解に苦しむ。

また、このようなリスクある配信を行っていて、友人知人や周囲の関係者から忠告はなかったのだろうか?(当時の投稿を見ると、亡くなった女性の家族からは止めるように連絡があったことが確認できた。)

どう考えてもこれは虐待だけど、恐ろしい事にこの母親をかばう大山妹がいて大山莉加さんに『あのようなブログはお前の妄想であり即刻削除するべし』という一方的なメールを送りつけてくる始末だ。
どこをどうとってもクソのような親であり、クソのような虐待をしていたと思うのだけど、なんと当の本人である大山莉加さんがこれを認めきることができない。無論、頭では理解しているのだけど腹の底からの納得がまだ出来ずにもがいている。

この表現からは、虐待されて育ったことを自覚するように、彼女が「周囲から強く説得されていた」様子がうかがえる。

虐待や性被害を訴える際、更に耐え難い経験をする(セカンドレイプ)ことはよく知られているが、それに屈して泣き寝入りはいけない、という考えもある。非常に繊細な問題だが、周囲の関係者に女性は副社長ひとりしか見当たらない。彼女が本当に「守られていた」のかは疑問に感じる。

そもそも彼女は、誰に何を訴えたくて、この「毒親配信」を始めたのか?

この動画が「毒親配信」の初回になるが、「配信数分前に到着しました」「バタバタですわ」と事前の打ち合わせもなかったように、軽いノリで始まっていた。

会社の営業活動で顧客に送っているメルマガで、スタッフ個人のプライベートな問題をネタにするのはどうかと思うが、、、どうやら、そういった社風のようだ。

大山とは打合せゼロで望みます。さっき電話で呼びました。タクシーで向かってるはず(笑)

これらを見る限り、彼女は言われるがまま出演していたように感じられる。また、唐突に掲載されていた「親への手紙」(ニュースになった際、安冨教授が報道関係者にちゃんと読むようにアピールしていた)についても、、

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一月万冊のブログに掲載(7/18)される前日(7/17)に社長がFacebookに投稿していた。原稿の提出先は社長だった可能性が考えられる。掲載されたブログには関連する動画なども貼られており、更に手が加えられている印象を受ける。

これは彼女が「自主的に書いた」ものだろうか?

彼女は配信の中でも何度か、毒親について「自覚はなかった」「言われて気付いた」と言っている。

彼女自身は「毒親配信」の当初から「深刻な問題を抱えた虐待サバイバー」として出演していたわけではなかった。どうして自ら命を断つことになったのか?

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