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〈プロローグ〉ウオウオと生きたいなと電気が止まった部屋で思うし、書きたいし、どうせ来月もそう。

水を得た うおと呼ぶことを知ってから、その古びた言語を、流された読みを、確かに今日まで使っています。まあ、一人で口ずさむ程度の遣い方で。

東京の世田谷区に住みながら、家賃9万8千円を月々支払いながら、ここ4ヶ月間毎月電気が止まる。理由は5~6000円の支払いが滞っているからで、薄給だからで、支出感覚が緩いからです。

そんな文言をたくさん書き連ねて、文書にしてお役所に提出しても、多分生活保護を受ける資格があるとの判断は下されないと思います。
「健康で文化的な最低限度の生活」とかいうそれを大幅にクリアしている自己紹介をする羽目になるだけなのです。

とはいえ電気代が払えず電気が止まると、確かに文化的ではなくなるのは結構事実に思えます。Wi-Fiの常設されたマンションで、ボクの一室だけ明かりとネットワークを遮断できるって結構すごい世界だなあ、とうつつ抜かしていられるうちはまだマシです。

昨日の朝9時台に止まってから、まだ24時間しか経っていないのが薄ら寒い。6/29の東京は今年イチ暑いらしいけど、我関せず、凍えている。

水曜日は休日。薄給の原因というより自分が健康でいられる要因と言ってほしい。つまりは幸か不幸かこの部屋にいられる。仕事の場合だって、電車賃なんて払えないので、月額制のレンタル自転車で4,50分かけ会社に出向く。もちろん都内 to 都内でありながら。

ボクの休日。

惰眠を貪る。普段は手に取りもしない本に手を伸ばし月明かりで読む(全然見えない)。汚れ散らかった部屋に憤りながら片付けない。今日明日止まるであろう水道からペットボトルに水を汲み、風呂場に並べて断水に備える。惰眠を貪る。

文字に書き起こすと多分地震か台風に当たった人なんだけど、読んでいるあなたと大体同じタイムラインに生きている奴の話ではあります。

本当はWi-Fiが死んでも、4Gに繋がるスマホならある。それさえ残り1.5ギガの月額データ容量に怯えるだけでは済まない。電池が切れたらこの部屋に電力はない。

たまたまモバイルバッテリーに2/4ほど充電残量があった。スマホならあと2,3回フル充電できそう。それをひっつなぎながら、じゃあ果たしてわざわざこの手のひらに何を映したのか、思い出す勇気もないです。

電気こそ現代人生活。これは電気が止まらないとわからないかもしれない。

本を溜め込んでいる埃だらけの段ボールを開ける。そのきっかけがなければ、いつ買ったのかも知らないle coq sportifの財布がそこにあると知らなかったし、それに入った600円強の救いにありつけなかった。


おかげでマクドの無料Wi-Fiによりすがるだけの、アイスコーヒーを買える資格を得て、noteをこうして書いている。それが無ければ書けていない。

もっとやることがないのか?

充電器から命を繋ぎながら、自分のしょうもない有り様を出力し、拡張させる。

これ以上に今すべきことなんてないし、情動に煽動されるがままのこの生き物がいかに機械の生殖器であるかは、昔の人がとっくに言い当てている。

また別の昔の人は水の中でピチピチ元気に泳ぐそれを「うお」と呼び、まな板の上で死んだり捌かれたそれを「さかな(肴)」と読んだとか。とか言って別にどっちでもいいんだとか、どっちかじゃなきゃいけないんだとか。そういうのをつべこべ論じたがる現代人の呼び水になってて、ほらまた何かの生殖器。

機械と言語が同じでなくとも、メディアという括りで括ることはできたりして。そして健康で文化的な最低限度の生活を送れてない自分も、こうしてどうしてメディアでしかなくって、薄ら笑える。

そうは言っても、書かずにはいられない。生命の危機を感じたとか、そういう話と近からず遠からずでも、とにかく書きたい。
この出力意欲以上に、自分が欠いてはならないものもないと知っている。

ありがとうnote。ありがとう電気。ありがとうマクドナルド。

マクドナルドの何の商品価格を示して自分が生きる現代を表すのか、そんなに種別はなさそうだけど、これだけは言える。

紙ストローまずい。

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うちいらず、昼アンドン

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死ぬまでに本気で一回書いとかねば!!って電気とネットが止まった部屋で思ってから、やっと書き始めるボクのここまでと、そこらへん。エッセイ集。…

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