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【POOLO2期卒業制作】たくさん泣いて、笑って、考えて。

2020年8月に始まった1年間のプログラム「POOLO2期」が2021年7月末で終わろうとしている。1年間という時間は、振り返ってみればあっという間。この1年間、POOLOの内外を通して感じたこと、学んだことの振り返り、そしてこれからのことについて書いていこうと思う。

※POOLOについてはこちら


1.POOLOに入ったきっかけ

2020年春。誰もが予測していなかった新型コロナによる緊急事態宣言。

コロナ前の過ごし方と言えば、平日は仕事、週末は東京へ遊びに行くか、関西へ"帰省"と称して出掛けることが多く、たまに国内外へ旅に出るのが常だった。

自らをリセットする時間でもあった旅や"帰省"は出来なくなったけど、今だからこそ、できることをやらなきゃ。何かを始めなきゃ。このままじゃなんかダメな気がするけど、私にできることって何だろう?

そう思ってなんだか焦っていた1年前の7月。何気なく見ていたFacebookで1つの広告が流れてきた。

「次世代のグローバル人材が育つ、あたらしい大人の学校」

ん?なんだこれ??でも面白そう…と直感し、勢いで説明会に申し込んで参加し、勢いでエントリーシートを書いた。

人生ではたまにこういう「直感」と「勢い」がその後を決める場面があると思う。POOLOに入ろうと「直感」し「勢い」に乗ったことは大正解だった。心の底から自信を持って言える。

勢いで入ったがゆえに、「旅好きの友達ができたらいいな」とか「将来自分がやりたいことが見つかったらいいな」とか、そんな程度の軽い期待をPOOLOに抱いていた。


2.尊敬できる最高な仲間たちとの出会い

勢いで書いたエントリーシートが無事に通り、いよいよキックオフ!最初の日から熱量がすごくて、エネルギーを貰った…というか圧倒されたのを覚えている。とにかくワクワクする1年が待っているんだな、と期待が高まった。

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たくさんのPOOLOメンバーと接して感じたこと。

これまで歩んできた道は一人ひとり違うのに、不思議とどこか価値観が似ていること。「誰も置いていかない世界」という言葉が飛び出すくらい、他者に対するgiveの精神に溢れている人が多いこと。

お休みした後に久しぶりに講義やサークルに出ると、「おかえり~」と家のように出迎えてくれる、そんな暖かい雰囲気がPOOLO2期の魅力だと思う。

日常で落ち込む出来事があっても、POOLOの人と画面越しに会えばポジティブになれる。考えを言語化するのが上手な人ばかりで気が引けたが、私の話をみんな真剣に聞いてくれた。

「旅が好き」というだけで繋がっていた人達が気付けば「色んなことを気軽に話せる仲間」になっていた。

私の場合は地方に住んでいて、大都市の人たちのように気軽に県境を跨いで会いに行くことはできなかったけど、それでもZoomの画面越しに積極的に会いに行った。

みんなの「原体験」や「気になること」を元に、たくさん議論をした時間はかけがえのない宝物。「ヒビコレ(=日々是好日)」の集まりで、いつだったか話していた「運命の出会いを必然にすること」とはまさしくPOOLOのことだなあと、1年を振り返るって実感が湧いてきている。

時にはかの有名なボードゲーム「カタン」に数年ぶりにハマって、夜な夜なオンライン上で遊んだのも良い思い出(笑)。ボードゲームも、コミュニケーションツールの1つなのだと気付いたのが発見だった。


3.自分軸との出会い

講師の方のお話を聞いたり、POOLOメンバーと語り合う中で、自分が大切にしたいことや自分が夢中になれるもの、つまり「自分軸」について改めて考えるようになった。

考えれば考えるほど、自分が空っぽに思えた。自分の考えをきちんと話せているメンバーに対して、うまく自分のことが話せないと感じ、劣等感を抱えて焦ったこともあった。

一人で勝手に焦ったり、落ち込んだりしていたけど、講師の先生からは毎度啓示のような素晴らしい言葉が聞けてワクワクしていた。

「自分の好きをとことん追及すること」
「心を動かされる瞬間を大切にすること」
「変化を恐れるのではなく、どんな未来が来るのだろうとワクワクすること」
「自分の弱みを大切にして、愛でてほしい。弱みから生まれる仕事もある」
「バイブスが合う場所で働くことを大切にしたい」

色んな方の話を聞いて、「自分が大切なことや、好きなことって特になかったわけじゃなくて、単に忘れてただけ(もっと言えば蓋をして生きてただけ)なんだな」と気付いた。

周りを幸せにしたいなら、まずは自分を幸せにしなければならない。

じゃあ、自分が幸せな状態って何だろう?自分らしさって何だろう?と悩んだ末に出てきた答えは、やっぱり「時間が過ぎるのを忘れて自分が熱中している時」だった。

旅先で知らない街を歩いて「何者でもない私」を過ごす時間。一人で海や夕方の空を見てボーっと考え事をしている時。たくさんの人に会ってたくさん話をして、そこから交流の「輪」が広がる瞬間。

そんな時間こそ「自分らしさ」なのかな、と思えるようになった。

やっぱり、私は旅が好きだ。人と人を繋ぐ「場」づくりのお手伝いをすることが好きだ。

好きな場所で、好きなことを仕事にできたらな。

「自分軸」の存在にハッキリ気付くようになったのはPOOLOが始まって9か月、2021年の春頃のことだった。


4.「心の居場所」はたくさんあった方がいい

別に広めるつもりはなかったので、これはメンバー内でも知っている人と知らない人がいるお話。簡単に言うと、2021年3月まで職場が原因で心を病んでいた(経緯を話すと長くなるので、ここでは割愛)。

医者に行けば恐らくうつ病か適応障害と診断されていただろう。今でもたまにフラッシュバックして気落ちするくらいだから、自分が思ってる以上にショックな経験だった。人生で初めて他人を「一生許せない」と思った(そう思ってしまった自分も嫌いになった)。

再起不能になるんじゃないかと、不安でたまらない日々がしばらく続いた。

そんな闇しか生み出さないような状態の時にPOOLOのサークルや講義に出席するのが気乗りしない日も当然あったのだけど、「ここで辞めたら今後POOLOから永久に消えるかもしれない」と常に感じていたので、できる限り顔を出すように心がけていた。

これが正しい行動だったのか知らないけど、私は正解だったと思う。

愚痴はあまり言いたくなかったけど、雰囲気から何となく察していただき(?)、優しい言葉を何度もかけてもらったり、みんなのポジティブな話から元気をたくさん、たくさんもらった。

繰り返しになるけど、そのおかげで「自分はありのままの自分でいいこと」を再確認できた。

嫌なことはこれから何度でも起こりうると思うけど、自分が属するコミュニティはいくつあってもいい。1つがしんどくなったら他の場所へ逃げればいい。

まさに「逃げるは恥だが役に立つ」である。

本当にしんどい時は、物理的に「逃げる」選択肢を持っておかないとダメなんだと、この経験から学んだ。

自分が違和感を感じたのであれば、それを無視してはいけない。

無視を我慢し続けると更なる我慢しか生まれない。

それはいずれ、取り返しのつかない我慢となり、自分の心が壊れてしまう。

とても当たり前だけど、自分が無視してきた事実だった。

POOLOはどんな私でも受け入れてくれる、あったかいコミュニティだったからこそ、続けようという意思が途切れなかった。

事情を知ってても知らなくても、何度も私を救ってくれた全メンバーに心の底から感謝を言いたい。本当にありがとう。

今は楽しく働いているので、だんだん「そんなこともあったなあ」と過去の出来事になりつつある。なので、とてもポジティブに捉えるならば、この経験がなければ気付けなかったことがたくさんあったから悪くないかもな、と開き直り始めている。

過去は今に繋がっているし、今は未来に繋がっている。

総てはそう僕の捕らえ方次第だ(Mr.Children「CENTER OF UNIVERSE」)


5.世界が広がった出来事

人生最大の病み期を脱した2021年4月後半。それまで何も出来ていなかった時間をどうにか取り戻したくて、色々やってみたくなった。

それまでも、POOLO発のボドゲ作りに参加したり、色々やっていたけど、申し訳ないことに他の人にお任せしてた部分が大きかったので、もっと自分が主体的に企画に関わりたいな、と思っていた。

そんな時に始まったのが「ハワイ州観光局とのブラッシュアップゼミ」。
前期で私はツーリズムゼミを選択していたものの、何となく不完全燃焼だった。今度のゼミではもっとガッツリ勉強できそうだな、と迷うことなく参加を決めた。

始まってみると思った以上にハードだったけど、週に1~3回はチームメンバーと詰めたり、何度かフィードバックを貰えたりと、自分達の企画が少しずつ固まっていく過程を実感できた。

また、大学卒業以来ほぼ未経験だったプレゼンの仕方、スライドのまとめ方をおさらいできたり、発表の内容の軸でもあった「環境問題」「SDGs」「地方創生」といったキーワードへの関心が深まった。

地方に住んでいながらも、何となく元気のない地域社会を見て失望すらしていたけど、まだまだ私にできることがあるんじゃないか、と思えるようになった。

それと、正直に言ってしまえば、「ハワイに行きたい!ハワイが好き!」というモチベーションは他の人より低かったと思う。でも準備の過程で知らなかったハワイ社会の魅力に気付き始めた。
ハワイにはまだまだ日本人が知らない素敵な場所、素敵なカルチャーがあるんじゃないだろうか?ハワイが取り組んでる社会問題は日本でも活かせるのではないか?と、ハワイのポテンシャル考えるようになった。

色んな国の、色んな社会を知りたい。もっと勉強したい。まだ見ぬ世界を見つけに行きたい。地方で頑張っている人を助けたい。

このハワイブラッシュアップゼミをきっかけに、これからの自分の「旅」や「見える世界」の在り方が変わったような、人生における選択肢が広がったような、そんな素敵な体験だった。


6.未来を信じ 未来に生きる

この言葉は、私が大学時代に出会い、今でも大切にしている言葉。

母校のキャンパス敷地内に立っている石碑の言葉である。

この石碑の存在に気付いた当初(大学1回生)は、「大学という場で自分の未来を見つけ、未来に向かってひたむきに今を生きろ」と自分なりに都合よく解釈していた。

本当の意味を知ったのは大学4回生の時。この言葉には実際は続きがあり、不戦と平和への誓いを謳った言葉なのだけど、どうしてもこの言葉がキャッチ―なせいで、いまだにポジティブな印象のまま、心に残っている。

突然学生の頃の思い出話になってしまったけど、この言葉はある意味、私の座右の銘みたいなものだ。楽しい時も辛い時も、思い出してはもうちょっと頑張ろう、と自らを元気づけている。

そして、POOLOの卒業を控えた今、自分の将来にとてもワクワクしている。

POOLOの活動中は転職や就職のような、大きな変化はなかったけど、2022年の春で一度、今のキャリアにピリオドを打つつもりでいる。

その先は、(コロナが収束すると勝手に想定して)海外ボランティアに行くつもりだ。POOLOメンバーには「誰かを支え、繋ぐ架け橋になりたい」と話したことがあるが、POOLOで過ごした時間を含め、今までたくさんの人から貰ったgiveを、今度は私から他の人へgiveしたい。

私の「原体験」の1つである、国際交流の現場でのインターンシップ中に多くの留学生から気付かせてもらった「将来には、いくらでも可能性が転がっている」ことを、今度は私が他の人へ伝えたい。

最近はその目標を叶えるために少しずつ勉強をしているが、なかなか道のりは遠いなあ、と感じている。

それでも、後悔はしたくないし、常にワクワクしていたいから、失敗を恐れずに自分なりに挑戦するつもりだ。

それが、1年間たくさん悩んだ末に見つけた自分なりの社会への還元でもあり、ずっとモヤモヤを抱えて生きてきた自分へのアンサーでもある。


7.最後に

この1年間、多くの人に支えられながら生きてきた。たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさん色々なことを考えた。

1年前のあの時、Facebookの広告を見つけていなかったら?

そう考えると、ノリでPOOLOに入ろうと思った選択は間違っていなかった。1年間山あり谷あり、色々あったけど、この時間は無駄じゃなかった。それどころか、振り返ってみたら、すごくキラキラした素敵な時間になった。

とても不謹慎な言い方だけど、コロナがなければ今のPOOLOメンバーに出会うことはなかっただろうから、ある意味良かったのかなと思う。

だからこそ、POOLOメンバー、POOLOを運営してくださった(株)TABIPPOの皆さま、ゲスト講師の方々、そしていつも部屋に引きこもってZoomばかりしていた私のことを不審に思いつつ、なんだかんだ理解してくれた家族に感謝してもしきれない。

本当に、ありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。


一日も早く、みんなの所へ会いに行く旅ができますように!これからも、旅で素敵な出会いがありますように!

さて、まずはどこへ旅に出ようかな。

ただ ただ 明日へとパドリング(Mr.Children「PADDLE」)

卒業制作ー富士山


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