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生理前の女は女である

ゴダールの「女は女である」という映画の中で

主人公の女の子が、
料理中に卵を割って泣いてしまうシーンがある。

彼女が泣いた理由は、文字通りそのまま、
“卵を床に落としただけ”

内容ははっきりとは覚えていないけど、
作品の中ではそれ以上の説明はなかった気がする。

「こんなことで泣くのって女だけだよね」と
遠回しに表してるようなシーンだった。

“女”だからって絶対にそんなことはない。

絶対にそんなことはないんだけど、

例えば、
仕事が忙しくて常に疲れていて、
疲労で私生活にも余裕がなくて、
好きな相手ともうまくいかなくて、
髪の毛は傷んでるし、
ネイルもボロボロだし、
洗濯物だって溜まってるし、
LINEの返信だって返す気になれないし、
部屋の掃除もやりたいのにできていないし、
ダイエットも頑張ってるのに全然痩せないし、
せっかくの休日に観たい映画の一つもない。
とか、

日々の生活の中で自分を惨めにさせる要因が、
簡単に思いつく限りでもこれだけある。

気付いた時には自己嫌悪の大きな塊があっという間に出来上がっている。

もしこんな限界状態の時に、
ほんの些細なネガティブなことが重なったら

それが引き金となり
今までギリギリ保てていた感情が、
一気にとめどなく溢れてきて大変なことになる。

“ただ卵が床に落ちただけ”で、

「私なんて最悪だ。もう全部ダメだ。
こんなクソみたいな人生はおしまいだ」

という感情で頭の中がいっぱいになる。

映画の中の彼女にとっては、
“卵を床に落とした”ことが精神的な限界点だったんだと思う。

私の場合、こういうことは割とよくある。
特に生理前なんかは毎回こうなる。

自分の惨めさに悲観して散々泣いた数分後には、ケロッとした顔で甘いものを食べている。

もしくは「誰も助けてくれない」と、
世界に嘆きながら酒を飲んで爆食いしているかのどちらか

女はだいたいこういう生き物である


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