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TK氏著 『ゆれる』 を読んで

ごきげんよう。オリハラです

昨年6/23に発売された『ゆれる』を今更ながら読みました。

僕は本という活字の羅列である媒体が苦手なのですが、いちTKファンとして「読まないとな」という思考の末、漸く重い腰を上げ5時間で読破しました。

本人の目につくことは無いと思うので、好きに書きます。

多々TKと僕を比較しますが、それもお楽しみ頂いて、
内容が前後しますが、ご留意ください。


~全体像~

全体を通して~TK氏(以後敬称略)は根本からクリエイターなのだなとつくづく感じましたね。

楽曲制作やライブという作品作りにおいて、異常と呼べるほどの執着心と努力が垣間見え、その上謙虚さも持ち合わせつつ自身の作品に自信を持つ。

今まで楽曲を通して感じ取っていたTKという偶像が実像に近づきました

合っているかはわかりませんが、
『新約聖書』を読んでキリストを知ったような気分です。

この本は今後も文字通り僕のバイブルになるでしょう。

生い立ちから死生観、制作時の思考プロセスなどを書き上げてくれているおかげで少しTKに近寄れるのではないかな。

僕は他人の言葉などに影響は受けることは少なく、自分自身を尊重するタイプなのですが、こればかりは内容を嚥下し自身に昇華すべきだなと。

僕は端くれながら、作詞作曲に奔走する現在。
TKを僕の中でかみ砕いて僕に投影できればいいな。


~才能とコンプレックス~

僕は``才能がないのに音楽を作れる才能‘‘だけはあるのかもしれない。

TK - ゆれる

才能はあるだろ。
と言いたいところだが、本内でも語られているように``才能‘‘とはあくまで『相対的』なものでしかない。

他人から見たら僕にだって才能はあるように見えるかもしれない。
ただ僕は僕自身に才能を見出していない。

才能なんて曖昧な指標はそんなもんである

ただ、TKには魅力的と感じさせる魔力がある。

音楽性や歌声、本人の考え方どれをとっても僕には魅力的に映る。
いわばこれは『彩脳』なのではないか?

TKもとい凛として時雨に出会い、
少なからず僕の生活や音楽観は彩られている。

TKは才能が無いかもしれないが彩脳はある。
きっと。

その鋭利な竜巻でこれからも僕を刺激してくれ。
その音が僕に刺さるんだ。

僕の歌へのコンプレックスは凄まじい。

TK - ゆれる

TK曰くコンプレックスがあるらしいですが、僕は好きです。

突き刺すようなハイトーンボイスも
『laser beamer』の「前へ倣えの連続が変色して 腐った細胞は切り取られて」の部分のような地声も好きです。オタクなので。

コンプレックスと魅力がないは別物なんですよね。

自分が苦手だ。嫌いだと思っていることの中に新たな自分や他人からしたら魅力が眠ってるわけです。

だからこそコンプレックスと向き合って、作品を作り上げているTKには脱帽。

コンプレックスが無い人間っていないと思ってるんですけど、それに向き合える部分がなにかを作る人間にとっては必要なのかなと。

出来ないことを減らしていきたいですね。
常に新たなことに挑戦し続けて。


~見える世界~

これが一番大きかったです。

日々の生活の中で、目に飛び込み続ける情景を『違和感』というインスピレーションを元に一閃を感じ取りそれを作品に落とし込む。

TK楽曲に多用されている``夕景‘‘というフレーズもイギリス見た情景を衝撃的に覚えているからなのだろうか。

僕はそういった部分が全くないのでひじょ~にすごいと思いました(直球)

生きている中で衝撃的に覚えていることって他者との関わりの面が大きいので、僕が歌詞を書くとどこかに誰か思い人がいるような歌詞になってしまします。

それも良さなのかな。

それでも情景を描くことの美しさを強く感じ取ってしまったので、今後はそこに着目していこうかなと。


~TKにはなれない~

僕はTKにはなれない。
でもTKも僕になれない。

その上でTKイズムを僕の中で育んでいきたい。

サウンドや作品に対して、自分の思い描く完璧を求めて妥協を許さない。

世界への視点や感受性を豊かに。

僕なりの竜巻を、僕なりの歩幅で。


~さいごに~

とりあえず読み終わったので、部屋にあるサモトラケのニケと共に飾っています。

今後も定期的に読み返して、いつか本人に伝えられたらいいな。

そう思いながらぼちぼち音楽を何かの形で続けていきたい。

ありがとうTK。
この本は間違いなく僕のターニングポイントの1つになったよ。

それでは。グッバイ。

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