逃げたくなったら
私は1999年10月にアメリカ本土に初めて上陸した。
その頃はダンスをやっていたので友達と二人でニューヨークでレッスン受けに行こーということでビザなしでアメリカに居られる最大90日間ニューヨークに滞在した。
すごく覚えてるけど、何せ名もないダンサーなもんでお金がなかったから雑誌を買って安い航空券を探して、ポートランドで乗り換えしてNYに到着する便で往復で65000円だった。初めて自分で予約してとても緊張したの覚えている。NYに到着するのが遅かったので空港の近くのホテルを取った。ホテルも友達の家から国際電話をかけて何度も練習して私の辿々しい英語で予約した。
住むところはとりあえず一週間だけ日系のウイークリーで貸してくれるアパートメントホテルを私の友達の知人の知り合いの後に私のボーイフレンドとなる人が取ってくれていた。
その間に三ヶ月貸してくれる部屋を必死で探した。
クイーンズのアストリアというところに住むことになった。三ヶ月のみだから割高で広めのストゥーディオで3000ドルだった。
ボロくてネズミが出て大変だったよ。
ネットで予約なんて考えられないそんな時代でした。
そのすぐ後インターネットが使われ始めた時で、タイムズスクエアに巨大なアレなんて言うんだ?ネットカフェの巨大版があって、そこでメールだけはチェックできた。
スマホなしでよくも生活できたなとほんと思うけど、シンプルで良い時代だったとも言える。
友達の持ってる地球の歩き方と無料でくれる地下鉄マップのみを頼りに動いてた。
NYは地下鉄が張り巡らされているからアップタウンダウンタウンさえマスターしてしまえばどこにでもいける。わかんなくなったら地上に出てひたすら歩く。マンハッタンは基本碁盤の目になってるからひたすら歩けば目的地に着く。
私も友達も料理は得意だったからほぼ自炊。
57丁目にあるブロードウェイダンスセンターに行った。
今は移動してしまい近代的な感じになってしまいましたが、昔のBDCすごく好きだった。
めっちゃ趣があって誰でもウエルカムで。憩いの場所だった。
好きな先生がいて彼のレッスンは頑張って取ってた。ジャズなんだけどモダンの要素が入ってて当時は斬新で可愛くてめっちゃハマった。
レッスン受けて、ちょっとしたオーディションを受けてダンスしたり、とても刺激的な毎日だった。
あの時は20代後半で、日本には5年間同棲していた大好きな彼がいた。なのに私は暗黒の二十代を過ごしていたのでふらふらしまくってた。
ダンスは好きだけど決して上手くない。仕事もパートタイムで銀座で夜の仕事。未来が見えなかった。
アメリカ滞在中も早く帰って来てねと彼から連絡がたまに入る。他にも待ってる人が何人もいたの、、、
異性関係ぐちゃぐちゃで日本帰りたくなかった。
わたし、あの時日本から逃げたって言っていいと思う。ダンスを理由に逃げたんだよ。
何か変えなきゃとんでもないことになると。
そしたらNYで一番近くにいた日本人の彼とまあ強烈恋に落ち離れられなくなった。
彼といる為に一旦日本に戻り、学生ビザをとって私は同棲してた彼ともその他の人とも全てお別れして今度は一人でNYに渡った。
そこまでやるのに書くと簡単に思えるけどもうすごい労力を使った。
その彼とは次第に上手くいかなくなり、何で私はここにいるんだろう?今更帰れないよ、目的もなくこんなとこに居て何やってるんだろう?と思って毎日泣いてた。
そんな時今の旦那さんのびーちゃんが現れた。
それからというもの私の人生は180度変わった。
私、結婚してから誰とも浮気したことないんだよ!
お酒も自分で強制的に辞めさせられ、超真面目な母で妻になった。
びーちゃん様様だよ。
びーちゃんは特殊な能力持ってて、いつも近くに守ってくれてる存在を感じながら生きていて(こないだ会ったサイキックの方もそう言っていた)私と結婚する明晰夢をかなり前に見ていたようで、私を見た瞬間やっと現れたと思ったんだって。
ニューヨークではびーちゃん、もちろん二人の子供達、師匠、その他にも大切なことを教えてくれた私の生き方を変えてくれた人たちに出会った。子供達も私の身体を使って生まれてきたけど出会ったって感覚。
日本に居たら出会えなかった人たち。
私がニューヨークに行かなかったら私の人生はどうなっていたのかと恐ろしくなるほどそこにはオールスターが勢揃いしてた。
で、日本に帰ってきたら連絡先も知らない高校時代のチームメイトでライバルで周りからは犬猿の仲と思われていた友が待ち構えていてくれた。あとは任せろとばかりに。
彼らのお陰で私の人生はどうにか持ち直した。
そして今また私は日本から出ようとしてる。
あの時の逃げ出したい気持ちを思い出して、あれ?今回もそうじゃね?逃げ出したいんでしょ?
と思った。
前回は自らぐちゃぐちゃにしてしまった人生から逃げ出す為に日本から飛び出した。
でもその裏では壮大な宿命が私を動かしていたということに後で気づいた。
彼らに会う為にどうにかして私をアメリカに連れて行かなきゃならなかったあの時の壮大なエネルギーの流れはすごかった。色んな問題を作り出して、私に苦手なダンスまでやらせて全く縁のないアメリカに連れて行かれた。
今回はなんでかっていうと、、この穏やかで特有の暗さのある日本にいると身動き取れなくてどうにもならず、日本から逃げたいと思ったんだと思う。
今現在私には問題も縛るものも何もない。
人に言わせると幸せなんだと思う。
働きたくもないし、正直言うと人の為に何かをしてあげたいとも思わないし特にやりたいこともない。お金を稼ぎたいとも思わない。
それが全て叶ってるから自分の思う通りの現実を創造していると言える。
人生の基盤は出来上がった。自分軸も出来上がった。
で?どうする?
私の心の中の炎を燃やす為の刺激が欲しい。
もがけばもがくほど沈んでいくような身動き取れないこの沼のような空気の中から私は逃げ出したいと思った。
今度は運命を動かしに行くという感じがする。
日本国内でもどうにか苦しい状況を打開出来る人は居ると思うし、日本でダメならどこ行ってもダメだと言う人もいるかもしれない。
でも私は自分で動いてみて、外に出てみて人生を変えた経験がある。意識を変えた経験がある。
もし今どうにも身動き取れなかったり、どうしたらいいかわからなかったり、今の状況がどうにもならなくてきつい時は逃げてもいいんだよと言いたい。
でも逃げる時は目の前のことを全力でやってみてそれでもダメだった時の方がいい。
そうでないと同じことを繰り返すだけ。逃げの人生になってしまう。
ここがもう少し高い次元であれば楽しい方にワクワクする方に向かってもいいと思う。でもここはまだ三次元だし、まだまだ私たちは意識を拡大しないとこの三次元がら抜けられない。
だからその為に目の前の現実に対して試行錯誤して時にはその辛いところから距離を置いてみたり、敢えて恐怖を感じる方に足を踏み出すことも必要なのだ。
誰かに言われたからやるのではなく、自分の意志でやること。自分を突き動かす何かが絶対ある筈。結果なんて考えなくてもいい、意味付けもしなくていい。行動してみて後から振り返るとそういうことだったんだってわかる。
今回のタイ行きはただの経験かもしれない。行ったから何か得られるのか?人生変わるのか?出会いがあるのか?は分からない。
はっきり言うと恐怖が大きいです。若者のような体力もないし、未知のことが多すぎて。
でも私の中でそして外側からもなぜかタイがすごく来ていたのは確か。
ひとりだけど、、いつも一緒に居てくれるのは母なる地球。彼女をカンパニーに今回は旅をしたい。
☀️🌕
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