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最後の晩餐、どうする?


人間は空想することが好きで、
「世界中を敵に回す、さて何をした?」
だとか、
「明日隕石が降ってくる、今日何して過ごす?」
だとか、
「一万円を一年で一億円にする方法は?」
だとか考える。

今年は最後の晩餐を何度かやったけれども、本当に死ぬ事はなく、次の朝食がもしかしたら最後の朝餐になる可能性はあるものの、私は朝食を食べない。

はるか昔、私が未成年者であったころ、
(と言うとややこしい。なぜなら成人年齢の引き下げがあった辺りの話なのだ)
私は同窓生に比べると意思能力を有しない状態にあった。

脳が萎縮していた為に思考回路は停止していて、
偶数の足し算をしては、前日より数を数えられなくなる事に悲しんでいた。
ちなみに、奇数の足し算は早々に出来なくなっていた。
泣く事さえ出来ないほどに体力が無く、
目覚めると言うよりも浮遊し続けるような睡眠をとり、背中には床擦れをつくり髪は抜け続けた。

この話は長くなるので割愛するが、
そんなこんなで入院し、当時の主治医と話したのが、最後の晩餐についてだった。

「先生、わたしと同じ病気の人は、
 最後の晩餐に何を選ぶと思う?」
「カレーとか焼肉とかじゃ無いの?」

そんなわけがないだろうが。
問題の意図を汲み取れ!東大医学部卒だろ!
とまで思ったので、多分ある程度回復していたのかもしれない。

これは大喜利的な解答で、まあ当てられるなら当ててください。
と、読者に委ねるタイプのエッセイが好きな私は、筆才が無いにもかかわらず、適当なことを書いてみたり。
フォアグラではございません、御勘弁ください。

今、慢性期に入って、どうしようもなく生きてる私の最後の晩餐は何になるのだろう。

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