見出し画像

性的なエトセトラ

『私の名前をちゃんと呼んで』
このフレーズだけは腹の底から叫びたい。
いつだってここで泣いてしまう。
私の名前など、存在しないから。

とてもとても、それは珍しく、
一見キラキラしてるようには見えないが、
電話口で何度も言わなければ伝わらない。
そんな名前をつけられた。

令和六年、八月二十五日現在、
この名前がついている女性は、
日本国内に私のみであると推定される。
少なくともインターネット上には、
その同性同名(当然同姓も)存在していない。

それは一つのアイデンティティとして、
私の中に残り続けた。
まるで、本当に、当然のように。
いろんな言葉が思いつく。

“私は人とは違うのではないか、
漫画のキャラクターみたいに”

いつからか本当の、つまり戸籍上の名で
私を呼ぶ人は居なくなっていた。
親族、同窓生、同僚その他それらと同等の人。
それらで形成した人間関係を、
ものの見事に切り捨ててしまったから。

まあ正確に言うと、切り捨てたのではなく、
関係構築から逃げたのだけれど。

セックスの時に、私の本当の名前を、
呼んだのは前の恋人だけだった。
時々“お姉ちゃん”“ママ”などと呼ばれていたが、
それでもその人だけが私を名前で呼んだ。

私の下に寝そべる男の名前を、
意識的に呼ぶようにしている。

私は誰を抱いていて、誰を殴っていて、
誰の首を絞めていて、誰の体を触っていて、
誰の何をどうしているのか。
時々わからなくなる。

台詞が勝手に出てくる。
リピート機能。
アレ、さっきも発した気がする。
眠たい午前一時半。
家に着くのは四時ごろか。
ねえ私の名前覚えてる?
偽物の名前でも良いから呼んでみてよ。

目を閉じても何を欲しがっているのかわかる。
けれど、何で私で興奮するのかはわからない。
私みたいな女に酷いことされて良かったね。


不思議なこと。
猥褻な行為をする事は多いが、
性交渉、つまりは挿入を殆どしてこなかった。
セックスとプレイ。
明確な違いは私の中だけにある。
規則を自分で定め徹底的に守ってきた。

射精はしても良いけど、
あなたはわたしに何ができるの?
という思考は、ドミナとして大丈夫ではない気がする。
いや、ダメだろう。
ダメだろうけど。

四六時中、性的な事をしている訳ではない。
最初の印象で、そう思ってしまったのかな。
それが少し、否引き摺る程度には悲しかった。

キスしていた時に、涙が止まらなくなってしまった。
私が許しを乞うのは気持ち良いからで、謝りたいなど思ってはいないの。

好き、好きなの。ごめんなさい。
好きです、嫌よね。
キスしても良い?
我慢しててね。
好き。

それすらもセックスの一部で、
男がどう思おうと関係なかった。

名前を呼ばれたら気持ち良いだろうなと思った。
本当の名前を、あなたの声で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?