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あと一回でオシマイ

この時間の帰宅は心に良くない。
住宅街を歩くと、子供の頃に戻ったような気持ちになる。
家に帰ると温い空気が身体にまとわりつく。
宿題を済ませて夕食の支度をしなくちゃ。

幼少期の記憶を辿ると、家族と食事をした思い出が殆どない。
大抵は何処か他所に出掛けた時くらいで、
実家で一緒に食事をすることは稀だった。
出前をとった時でも別々だった。

それを不幸だと思ったことがない。
友人らと比較したこともない。
多分、私が母さんにそれをねだらなかったから、
一緒に食事をとってくださいと言わなかったから、母さんもそうしなかったというだけのお話。

それでもこの時間、何かの煮物か炒め物か、
料理を作る過程の匂いを感じると、
小さい私を思って少しばかり心が痛くなる。
私の世界はとても狭かった。
深夜になるとベランダに出て泣いて、
よくわからない相手に電話をかけては、
大人の声真似をし機嫌を取っていた。

常に、“当たり前に幸せを享受している側だから罰せられなければならない”という思考に囚われていた。
実際のところ、当たり前に幸せを享受していたかどうかと問われると、いまだにわからない。
だってそれって人の幸福の尺度じゃない?

幼少期や病に臥せていた時期の話をすると、
人にひかれてしまうから、私は自分の身に起こった出来事を隠したり嘘をつくようになっていた。
今でも何が本当かわからない時がある。
ときどき写真を見返す。
写真の中の私だけが本物で、誰かに話した私は偽物で、今ここにいる私は一体何なんだろう。

今の交友関係でも、本当の話ができる人っているのかな。
そもそも本当の話をする必要があるのだろうか?
自己開示は精神の露出狂などと言っていた人も居たけれど。
私はせんせいにだけ本当のことを言っている?
何が真か、誰にもわかんないよね。

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