見出し画像

ループからの脱出

パクチーブーム到来からのベトナム料理を食べに行くという流れ。
写真は私の好きな京都にあるベトナム料理のお店、コムゴンさんのハスの茎のシャキシャキサラダ♡
このサラダと春巻き(生春巻きとあげ春巻き)とフォーのセットが大好きで、毎回このランチセットを注文するのだが、今年からデザート(タピオカと白玉が入ったココナッツミルク)がつくようになって、フォーのサイズが少し小さくなった?気がする。
フォーがメインで食べたい人からすれば少し物足りないかもしれないが、セットとしてはちょうど良い量に調整されているのだろう。

さて、今日はループからの脱出という話題。

私は45年という年月を経て来て気づいた事が沢山ある。

その一つに毎度毎度繰り返す思考の癖のようなものがある。
「はっ!またやっている!」となっては「はい、やーめた!」という、まさにそのループを繰り返しているのだ。
このループは一体どこから来ているのか…

元々持っている素質(前世の素質含め)もあるし、幼少期から大人になる間に身に付けたものでもある。
これが潜在意識に染み付いたプログラムなのだ。

私はひたすらこのプログラムを書きかえる作業、もしくは0に戻す作業をやり続けている。
なぜここに至ったのか、理由は分からないけれど、何故だかそうなっている。
これもまた自然の法則なのかもしれない。

この世界は人間の理解を遥かに超えた完璧な秩序のもとに動いている。

ある日、私は娘(当時10歳)と自転車で出かけた帰りに、お腹が空いたので、帰り道にあるラーメン屋へ入った。

店内に入ってすぐ、私はテーブルの上の箸たてにカバンが当たり、割り箸を床にぶち撒けてしまった。
店の人に謝り、店員が片付けている姿を横目に申し訳ない気持ちで席につき、壁のメニューを見上げ、食べたいものを選ぶ。
ラーメンと小チャーハン、それと唐揚げも注文した。
注文したものが出来上がり、娘と楽しく食事をしていて、ふと壁のメニューに目をやると、お得なラーメンセットなるものが目に入って、今食べている内容と同じもので、値段がお得なセットが存在していた事に気づいたのだ。

その事に気づいたと同時に「これで完璧」という声がした。

私が店に入った時にぶちまけた箸と、お得なセットではなく、割高な単品で注文したこの一連の流れ。
私は何故かお得なセットに気づかなかった。
それで完璧だったのだ。
ぶちまけた箸の分で帳尻が合っているのだ。

この世界で起こっている事の縮図を見せられた感覚がした。

私は以前、人から何かをもらったり、何かしてもらった時に、「申し訳ない」という感情で毎回何かお返しをしなければと、それ以上に返しすぎてしまうという、正に「受け取りど下手」な人間だった。

「人に迷惑をかけるな」「みんな仲良く」「我儘を言ってはいけない」など、ありとあらゆる制限を自ら採用してしまった事から来ているこの「申し訳なさ」は自分の存在を小さく小さく押し込めてしまうのだ。

が、「全ては完璧」という感覚が腑に落ちた時から、この「申し訳ない」という感情が発生しなくなり、「ありがとう」と、ただただ素直に受け取っている自分がいるのだ。
それに伴って「損得勘定」という概念も発生しなくなっていた。

これも一つのループからの脱出である。

そうやって、一つのエピソードや、人との会話、本や映画や音楽、私たちが体験しているありとあらゆる全ての中に気づきの要素が含まれていて、そこに完璧なタイミングで気づくようになっているのかもしれない。
私はこれを気づきのイベントと名づけていて、イベントが起こるのを内心楽しみにしているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?