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はじめてってすごいぜ

人生においてはじめて何かをするときというのは決まって緊張するものだ。初めてのおつかい、はもちろんだが、初めての試験、初めての独り暮らし、初めてのデートなどなど、初めてというものは色々と緊張する。
でも、その初めてを超えて、ひとは少しずつ成長していくものである。

「開拓者」「先駆者」といった意味合いの言葉で「pioneer(パイオニア)」という単語がある。日本人メジャーリーガーのパイオニアともいわれるのがトルネード投法で名をはせた野茂英雄だ。
過去、多くの人が挑んでこなかった領域に人生をかけて挑戦したからパイオニアと呼ばれている。

歴史は多くの挑戦者によって作られてきた。数多くの発明、そしてそれに先立つ挑戦と失敗の日々こそが、私たちの現代の生活を支えてくれている。

食べ物だって同じだ。「これは食べられるのか」と思って口にして、数多くの人が犠牲になってきたのである。

フグなんて何人の人が死んだのだろう。
かつて相撲部屋でフグの肝を食べて死んだ力士がいたけれども、こんな風に猛毒を持つフグを食べては死に、食べては死にを繰り返して「どうやらここは大丈夫らしい」と文字通り命がけで可食部を見つける営みこそが、歴史そのものだったはずだ。

フグならまあ魚だしわからなくもないが、そもそも食べることがチャレンジングな例もある。
牛乳なんてその好例だ。牛の乳から出てきた謎の白い液体(しかも生あたたかいうえまあまあ臭い)を「ちょっと飲んでみるか…」と思った人は言うまでもなく変態である。

そしておそらく、豚の乳とか犬の乳とかも飲んでみた人が多分いて「こりゃ飲めたものではない」となったのだろう。
そういえば、私個人は小学生の時にカロリーメイトの包装材を食べて激しくえずいたことがあった。多分人類で初めて食べたのではないかと思うのだが、それきりサプライジングなものを食べてはいない。

食べることは生理的欲求に根差している行為だが、とりあえずなんでも口に入れて食べられるかどうかを試してみようとする人間の飽くなき食の欲求には舌を巻くほどである。

牛乳を初めて飲んだように、フグの可食部を探し当てるように、便利なものを発明したように、そして野茂英雄のように、はじめて何かしらの物事を為す行為には非常に価値がある。
それによって現代の当たり前が作り上げられ、私たちの文明や文化は着実に前に進んできた。

周りを見渡してみると、新たに歴史を作り上げられるような「まだ誰も食べていないもの」なんてもうそうそうなくなってしまった。
単に人生で初めて、というだけではなく、世界で初めてやってみた、ということが一つくらいあってもいいような気がしている。
「そんなの勝手にすれば?」と言われればそれまでだが、そんなときふとコンビニで買ったカロリーメイトに一瞥を投げてみる。もう、食べないけど。

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