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「シューカツ」を振り返る

社会人歴もいよいよ7年目に突入しようというところ、年末で就職活動のことを書いた文章が出てきたので、振り返りつつあれこれ書いてみようと思う。

私が就活をしていたのは2015年。当時、正式には8月から面接を解禁するということになっていて、今よりも正式な内定を得るタイミングが若干遅かった。

もちろん、就活が正式にいつ始まるにせよ、企業サイドから見ればそんなものは関係ない。「選考」ではないという建付けで「面談」「セミナー」「相談会」が横行し、事実上の選考は次々と進んでいた。


正直なことをいえば、私は「あんま仕事をしたくない」タイプの人間だった。当時、社会に貢献したいという思いもなく、何がしたいわけでもなく、「横を見て、とりあえずそれっぽい感じで」就活をしていた。

当時したためた文章なんかを見ると、「就活という名の演劇に巻き込まれた学生は社会人という名の資本主義社会を支えるたんぱく質でできた歯車になっていく」的なことをいっちょ前に言っていた。

少しばかり時間が経って考えてみても、それは確かにその通りだとは思うのだが、まともに働いてもいないくせに、なぜか偉そうで腹が立つ。

そもそも、新卒の学生など社会では大概「使えない」というのが大前提である。会社側は人材を育て、将来会社を担う人間をつくるために新卒で一括採用している。中途で実力のある人間を入れた方がコストもかからないし合理的なはずだ。育てるには理由があるということに気づかないといけない。

たぶん、採用するうえで一番有能なのは体力・根性があって酒に強く、誰とでも話せるひとだ。要は明るくて元気なひとである。多少学がなくても、無限に頑張れてガッツがある人は無敵だ。

一番使えないのが、妙にインテリぶっていて、なぜかわからないが社会主義の思想にシンパシーを感じがちで、労働生産性も低く、コミュニケーション能力も乏しいやつである。そういうやつに限って中途半端に学歴があって小さなプライドを抱えていたりする。就活で不採用が続いたりすると、そのプライドを破壊されて勝手に挫折したりする。単純に面倒くさい奴である。

で、当時私は後者の「面倒くさい奴」に近い学生で、加えてマスメディア業界に業界を絞ってしまったのもあり、内定が出るはずもない日々を送っていた。そんなこんなで5か月ほど内定が出ないままだったので、いよいよだめだと思って業界を絞らずに受け始めたのが、9月の初めごろ。適当に受け始めて2週間ほどで銀行に内定したという経緯だった。

ぶっちゃけ全く企業研究もせず、志望動機も会場で適当にノリで喋っただけだったので「こんなに簡単に内定が出てしまうのか」とあっけにとられた。先に記した「就活という名の演劇に巻き込まれた学生」である私は、ほかでもなく「資本主義社会を支えるたんぱく質でできた歯車」に過ぎないのだと気づいたとき、「内定」という言葉は現実となったわけだ。


その後、私は何度か転職をして結局マスメディアの世界に入ることになるわけだが、その時に何度も「就活でもっとまっとうにやっていればなあ」という思いが去来した。

新卒は先に「使えない」と書いたが、唯一であり最大の強みがある。

それが「何者にでもなれる」ということだ。あきらめなければ大概の場合、仕事を通じてなりたいものになれる。

その唯一にして最大の武器をこれでもかというほどに活かしてほしいのである。たとえ零細企業であっても自分がやりたいと思うことを仕事を通じてやるというのは軸として持ち合わせていた方が、のちのち楽だと個人的には思う。

私ももし5年前に戻れるなら、「銀行なんか入るな」と言ってやりたいものだ。どうせ転職するんだから、メディアならメディアに食らいつけ、と。

実際、年を重ねてから「夢をみるぞ」といっても、現実にはそう簡単にいかないことも多い。子育てや介護など、リアルな問題が眼前に迫るからだ。

自分のからだ一つしか負うものもなく、自由に動ける新卒学生である瞬間にこそ、人生の未来をどう生きるかを考え、その意志を固めていくことは人生にとって実に意義深いことに思う。

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