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ドスのきいた大人が少ない

祖父が亡くなった時だったか、遺品の整理をしていた時に祖父の若い頃の写真を見つけたことがあった。

孫からすれば祖父など甚だ与し易い対象の1人であり、およそ畏怖の念など持っていなかった。

ただ、写真に写る若かりし頃の祖父の目つきは極めて鋭く、少しでも目があったら殴られそうなくらいの迫力があった。冗談抜きで「なんだてめえ殺すぞ」みたいな目でカメラを睨みつけているのだ。とにもかくにも目つきが現代では見たことがないくらい怖すぎなのである。

母に聞くと祖父にはよく引っ叩かれたらしい。まあ実際に戦地に赴いている人であり、一度は潜水艦で死を悟った祖父である。時代も異なれば、平凡な人生を歩んでいる現代人とは訳が違うので、こればかりは致し方ない。

ふと、最近の芸能界を見てみる。
男性のタレントや俳優は綺麗な顔の人が多く、男の私でも「美しいな」と感じるほどだ。
その反面で、いつぞやの祖父のように眼光鋭く目だけで人を制し、黙らせることのできるような俳優はなかなかいない。
要はドスの効いた俳優が少ないのだ。

かつては太陽族なんて言われたりツッパリなんていうものが流行ったけれども、ああいう男のマッチョな魅力をこれでもかと、演劇と見まごうほどに露出したファッションというか風貌のようなものがかつてはあった。
三島由紀夫と石原慎太郎の2ショットの写真があるけれど、ちょうどあの写真にあるマッチョな魅力とか、汗のにおいみたいなものはすっかり現代から失われた。一言もしゃべらないのだが「すごみ」みたいなものを感じさせる男性の魅力みたいなものといえば、より的確だろうか。

こういうドスの効いた人が少ないからなんなのかと言われたらそこまでの影響があるわけでもない。
でも個人的には、髭のダンディズムみたいなものも含めて、男性ならではの魅力みたいなものに価値を見出されなくなっていることに哀しさのようなものがある。

男女の平等が強く訴えられているなかで、男性性の希薄化みたいなものも手を携えて進んでいるような気がする。性の平等とは価値の相対化であり、決して性そのもののもつ魅力や価値の減衰ではないはずである。

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