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未来にある、悼まれる日のために

8月15日、77回目の終戦の日であった。
朝からたくさんの人たちが、炎天下で靖国神社に長蛇の列を作って参拝していた。
先人への感謝を伝えるためにあれだけの人が来るというのは、75年の時を経てもなお、その死が悼まれているということでもある。
ろくに実家の墓の面倒も見なくなった現代にあって、驚くべきことである。

世界では毎日、たくさんの訃報がある。
世界的なデザイナーである森英恵さんが亡くなり、安倍元首相は凶弾に倒れた。西村京太郎、石原慎太郎といった文壇の大御所もその生涯を終えた。

人がこの世界からいなくなることで、その人が生きていた価値は如実に表れてしまう。

故人を悼むときには
「あのひとはこんな人だった…」
と誰しもがその存在が失われたことを悲しむ。
そのとき、故人を語るに一番良い話をするのが人情というものだろう。
「死んでくれてせいせいする」というのは思っていても、ことさらに口にするのは、いくらなんでもはばかられるものだ。

「死計」という言葉がある。中国の偉いひとが考えた「人生の五計」なるものの1つだ。
人生の五計というのは、生計(体をどう健康にして生きるかを考えること)、家計(暮らしをどう維持していくかを考えること)、身計(自分の身を立てて社会貢献を考えること)、老計(どういう老後を過ごすのかを考えること)、死計(どう死ぬのかを考えること)の総称だという。

終戦の日という一つの節目を経て、どう死にたいかを考えることは意義深いことだ。
先に「人がこの世界からいなくなることで、その人が生きていた価値は如実に表れてしまう」と書いたとおり、死ぬからこそどんな生き方をしてきたかが浮き彫りになる。要は死計といいながらも、生き方が問われているのだ。

だいぶ前だが、幼馴染だった友人の祖母の訃報に触れたことがあった。
小さいころからお菓子をもらったりいろいろと世話になっていたのだが、いざ葬式に行ってみればおびただしい数の人たちが列をなしていた。
私にとっては「近所のおばあさん」ぐらいのイメージでしかなかったから、大層驚いた。
思い返せば、地元で開催されるイベントには決まって実行委員や何やらをやって、地域のために精力的に活動をされていたような方だった。
広く深く、そして多くの人と人脈を作り上げ、いろんな人と交流しながら(そして、私のような出来の悪い子供たちの相手もしながら)地元を盛り上げてくれていたという事実が、葬式という一つの節目ではっきりと目の前に立ち現れたのだ。
その光景を見ながら、思いがけず涙がこぼれ、しゃくりあげるように泣いてしまった。
そしてはじめてこのとき、「どういう死に方をしたいか」ということを意識し始めた。

多くの人から良い形で悼まれたい、とは思わないけれども、結果としてそうなるような生き方ができることは、美しいことだと思う。

自分が他者の死に接した経験や77年前にラジオの前に座って戦いの終わりを知った方々を思うと、社会や国家といった自分より大きなもののために行動する生き方を続けた先にそういう美しい死が訪れたのだろうなと思う。
年を重ねると、いつの日か自分のためだけに生きるというのも張り合いがなくなっていくのだろうか。
ともすると自分のことばかり考えてしまう幼い己だからこそ、未来の悼まれる日にどのような人生を歩むのかという「死計」――いまをどう生きるのか――を哲学せねばなるまい。

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