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「いちご100%」は思春期の峠である

「いちご100%」は、屈指の名作である。
私はあらゆる思春期の男子が読むべきバイブルとして、「思春期の峠」というキャッチフレーズを勝手につけている。

パっと見ではなんてことの無い作品だ。他のラブコメと同様に、一人の男を巡って幾人もの女の子たちが色々頑張る話だ。

しかし、この話が稀有であったのにはいくつか理由がある。
まず何より我々少年たちの手に届く「週刊少年ジャンプ」に連載されていたことだ。

一般に、大人が読んでも唸るラブコメ作品は「ヤングジャンプ」といったヤング●●系の青年誌に掲載されることが多い。あの80年代最高の恋愛漫画の一つである「めぞん一刻」は「ビックコミックスピリッツ」という青年誌だ。「いちご100%」には、キワキワの描写も多く、内容面からしても青年誌でもいいくらいのレベルだった。にも拘わらず、ワンピースなどのアツい作品が跋扈する少年誌に、「いちご100%」があったのだ。

9~13歳程度の少年にとって、青年誌へのアクセスは心理的な抵抗が極めて大きい。週刊少年ジャンプを立ち読みするのと、ヤングジャンプを立ち読みするのとは大違いである。青年誌は立ち読みをする際に博打のような側面がある。油断するとムフフなシーンがある大人向けの作品を開いてしまうときがあるのだ。それだけにかなり勇気が必要なのである。
私は「ヤングマガジン」で青年誌への階段を上った記憶があるが、立ち読みをしたときの微妙な緊張感というのは、今でも忘れがたい。悪いことをしているわけでもないのだが、独特の緊張感がある。

それだけに少年誌のなかに「いちご100%」のような作品がポンとおかれているというのは、一少年の視点からみると、ほぼリスクをとらずに「そういう」作品に出会えるということを意味するのである。

少年がアクセスできるところにあった「いちご100%」はラブコメの王道を行く作品のように見える。
様々な女子が男を取り合うという、典型的なハーレムものだ。

南戸唯は妹キャラであり、それだけでヒロインとしてはふさわしくない。北大路さつきはダイナマイトボディとその性格から、所謂仲のいい女友達、より正確に言うと若干お色気担当的な立ち位置で、これもまたヒロインとは言えない。

となれば、ヒロイン候補であったのは東西の二人であったのだ。
連載が始まったときのジャンプの表紙も、東西の二人がデカデカと載っていたことがその証拠である。

で、私が西野つかさは正ヒロインではないとする理由は、彼女のその立ち位置にある。

まず、彼女はそもそも学校が違う。
付き合い始めたのも彼女が主人公の真中のことが好きだったからではない。
真中が懸垂をしたからなのだ。

ラブコメの展開としては男に出会ってから一番最初に落ちた女子が、結局最後にも正ヒロインであるというのが理想的である。
そして何より、真中淳平が初めに見た「いちごパンツの可愛い女子」は、西野つかさではない。

それは、東城綾なのだ。

しかし、最後に真中が選んだのは、何を思ったか西野つかさであった。「いちご100%」はこの点で、普通のラブコメと一線を画している。正ヒロインが正ヒロインになりえなかった作品なのである。

「いちごパンツの可愛い女子」であり、主人公の真中淳平と両思いであり、しかも中学校のころから彼女は真中淳平のことが好きで、そして彼と夢を共にしており、わざわざ学校まで主人公に合わせて進学した東城綾は、最後の最後で真中淳平にフラれたのだ。

あの最後の、教室のドア越しに彼女が告白をするシーンは涙なしには見ることができない。もとより内向的であまり自分の気持ちを人に伝えることを得意としなかった彼女である。だからこそ、彼女は小説や演劇にその思いを委ねつづけたわけだが、あまりにも純粋で澄んだ四年分の思い―ずっと言えなかったたったひとつの気持ち—を、教室のドア越しに伝えるのである。

北大路さつきや西野つかさでは、この教室の扉越しというシチュエーションは絶対に成立しえない。東城綾のパーソナリティだからこそ、このシチュエーションがまともなものとして成立する。

こんな風に考えると「いちご100%」はラブコメの体裁を取った悲劇にみえてくる。「100%」のヒロインであるはずだった東城綾は、互いに思いを寄せているはずの真中淳平に切り捨てられているという作品なのだ。

ただ、仮にもし真中が東城綾を選んでいたならどうだろうか。「いちご100%」は、普通のラブコメになっていたのかもしれない。

私にとっては嬉しいが、どこか複雑だ。東城綾は、寧ろ結ばれなかったからこそ、あの切ない調べを彼女の中に抱えている。それこそが彼女の強い魅力になっている(と思う)。

あの終わり方だったからこそ、「いちご100%」をラブコメの作品の一つとして単に消費したりせずに、今でもなおそれに想いを馳せているのかもしれない。見たいと思う世界は、夢であるほうが美しい。

私は東城綾と彼女の想うひととその二人の間に、彼女の望むシナリオの一風景がいつかあることを願うばかりだ。
そしてそんな美しい夢の中で、まだどこにも売られていない「いちご100%」20巻の表紙をめくるのである。

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