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感性の同じところに

 昔どっかに行ってしまった友達は思い出したくないけど、昔の創作アカウントのフォロワーのことは気になってしまうので時々こっそり検索している。
 もともと二次創作界隈で繋がっていたフォロワーがいた。タイムラインに暇な中学生、高校生が年中無休で張り付いていた。界隈の有名人は絵がうまいだけでなくオリキャラがいたので、みんな影響を受けて一次創作をしまくっていた。

 タイムラインに流れていたあの時代から離れて見ることで、みんなの生活がバラバラということにようやくく気づいたりする。

 年下だけど周りよりやけに絵が上手だった人。クロッキーの写真、美術続けられてよかった。
 ああ、コスプレ始めたんだ、昔も自撮りあげてたしな。
 不登校だった。彼氏が出来た。無職になって他の趣味を始めた………

 そんな感じで、各々のうっすらとした人物像を眺めると、あのとき自分と同じものが好きだったはずなのに、なんで分かり合えなかったのかと考えてしまう。
それどころか、私よりも感性のルーツとなる人生が「普通じゃない」のがたまらなく恨めしかった。

 コミュニケーションは、分かり合うことを目的にするのは不可能である。
 インターネットの一部になっていると、みんなと自分は似たものが好きだと錯覚してしまう。インターネットにずっといると、周りも自分と似た生活を送っている感覚に陥る。

 だから昔のフォロワーに感じる憎悪に近い嫉妬は、昔の自分がコミュニケーションの意義を履き違えて生きて来た証拠なんだと思う。
 感性が同じだからといって、それはその人の一面でしかないのだ。そりゃ理想は(私の気持ちを分かってくれて)幸せに越したことないが、それで相手が自分の感性すべてを認めたことにするのは、都合がよすぎることだ。
 そんな者の人生には励ましも嫌悪も一切向けられないだろう。

 今自分は創作アカウントを非公開にしている。そうした理由は確か、「純粋に創作だけしたかったから。」だったか………
 あの漫画は凡人には思いつかないな。あのイラストは一体何十時間かけて生まれたんだ?
 最近のタイムラインには万バズの創作物が流れている。
 それを見た私はまた知らない人達が自分を置き去りにして羽ばたいているように勘違いしてしまうのだった。

 その人たちにもあるはずなんだ、生活が、現実が、人生が。私からは知覚できないが。
 人生の中で電脳の虚無空間に生きてしまっているのは私だけ。
 あなたにとって私は普遍的な人生に映らない。「価値が無い」に根ざした私を、誰かお許しいただけないだろうか。

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