三方原

 家康は続々と伝わってくる敗報をかみしめながら何とか平静を保っている。仕方がない。相手が強い。戦っても勝てなかった。清康のじいさんなら何とかなったのだろうか?

 浜松城に詰めて壁をドンドン叩いて気分を鎮めるしかなかった。

「ちっ、丸裸だろこれじゃ。示しがつかねーな。」

しかし出撃して勝てる見込みもなく、信長からは

「おう、家康。わりぃけどさ、信玄出てくるけど春までに熱田落とせなかったら勝手に自滅するからちょっと粘っといて。こっち片付いたらそっち行くから。」などといった手紙をもらっていると乾坤一擲は慎まなければならない。壊滅したらそれこそ国主を追われるかもしれない。

 だいたい、伊勢湾海運を抑えられたらもう打つ手がないのである。従うしか無いだろう。食糧事情が大幅に改善したわけではないのだ。

 我慢、我慢、ひたすら我慢、我慢・・・と、そのとき!

「武田軍は当城(浜松)を素通りしていきます!」

 マジかよ。素通りってもしや作戦バレてる?熱田まで一直線で勝負するのか。突破されたらキツイって。

 さらに情報が入り「どうやら堀江城を囲むらしい」ということであった。

 ふむ・・・堀江城を囲む後を叩くと・・・?姉川の再現となるだろうか。後詰を叩いて浜松に戻ると釘付けにできるかも?これならオラオラできてさらに持久戦にも悪くない。織田方とも協議してみたがこのまま素通りされると時間が稼げないという点で一致していた。

 「よ〜し!てめえら!出撃すんぞ〜!」

 意気揚々と三方原に向かった家康一行であった。小雪が降り、当たりは薄暗い。天気も味方している。音を立てずに隠密行動で向かった先は・・・

「あーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 坂を上がった軍勢が見たのは待ち構える魚鱗の陣の武田!武田!TAKEDA!

 東西10km、南北15kmのこの原に展開するには一点突破しかない。しかしそこには武田勢が凸に陣取っている。後からどんどんと前に押し寄せる。このまま接触するわけにはいかない。こちらは横に広がっていくしかない・・・勢い、鶴翼のような陣に・・・。

 「あ、あ、あ、あ、あ・・・やばい・・・。」

 おおかたの兵が出てきたところで「ふはははは。家康よ。私は待っていたーーーーーーー!武田軍攻撃!!」とばかりに総攻撃開始。

 まずい。ここは壊滅必至!兵力を温存せねば、と佐久間隊は離脱。死傷者を出さず一路浜松へ。あとの徳川・織田連合軍はなすすべもなく壊滅。

 佐久間がさっさと撤退して浜松にいると分かったため、もう出てこれまいと、道を急ぐ武田軍は浜松をスルー。三方原の戦いで徳川本軍は無力化されたのであった。やはりこのあたりは退き佐久間。いい仕事をした(だからこの撤退は折檻状にないのだろう)。

 残ったのは真っ白な灰になってしまった家康だった・・・。あはははは。もう笑っちゃうしか無いぜ・・・。


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