見出し画像

ルームメイト

 僕はオーストラリアで人生初の夏のクリスマスを過ごした。ホステルのみんながシドニーやゴールドコーストで新年を過ごすために移動するのを見越し、オーナーはクリスマスパーティーを少し前倒しで開いた。簡単なディナーと無数のビール、そしてプレゼント交換である。僕は見知らぬ誰かのために赤ワインを買い、それと引き換えにジム・ビームのコーラ割りを手に入れた。「日本ではクリスマスにKFCを食べるって聞いたんだけど本当か?」と何人かに訊ねられたので「本当だよ、ターキーの代わりに食べるんだ」と僕は答えた。ケンタッキーをクリスマスに食べるには予約する必要があると教えると彼らは爆笑した。それが奇妙な文化だということは知っていたけど、どうも日本人が思う以上に奇妙らしい。

 パーティーから数日後、ルームメイトの台湾人の女の子は郊外のシェアハウスに移り、僕は新年の最初の週が終わるくらいまで四人部屋を一人で過ごした。その後、別の部屋に居たドイツ人の女の子が移ってきた。彼女はホステル中の男と寝ていることで有名で、それを知らないのは同じホステルに居るボーイフレンドだけだった。その子の次にはデンマーク人の女の子がやってきた。彼女はずっと自分のベッドで分厚い本を読んでおり、気になって喋りかけてみるとそれは『銀河ヒッチハイクガイド』だった。知っているかと訊かれたので"42"と言うと彼女は笑った。その次にイギリス人の女の子がやってきた。僕はイギリス人をすぐに判別できるくらいブリティッシュアクセントの聞き取りが苦手なのだけど、彼女の英語はとても分かり易かった。それを指摘すると、祖母から鮮明に発音するようにうるさく教育されたとのことだった。そのデンマーク人とイギリス人は少し滞在しただけでホステルを去り、入れ替わるようにロシア人の女の子がやってきた。この辺りで気付いたのだけど、僕はホステルのオーナーから「安全な男」と認識されているようだった。その時点でホステル全体の男女の割合は7:3くらいだったにも関わらず、僕はまだ一度も男のルームメイトを持ったことがなかった。ロシア人の女の子はホステルに到着して二日くらいでボーイフレンドを作り、ある日の真夜中、僕は彼女らがベッドをギシギシと揺らす音で目を覚ました。その翌朝に彼女は謝罪してきたが、次の週末に同じことをしてからは常習化してもう何も言ってこなくなった。その頃、ドイツ人の女の子はボーイフレンドのベッドで寝るようになっており、夜は部屋にいなかった。しばらくすると別のドイツ人の女の子がやってきた。もはや僕は女の子が着替えている場面に出くわすくらいでは動じなくなっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?