見出し画像

ピザだけ食べていれば幸せ

 逆カルチャーショックという言葉がある。海外に長期間滞在していた人間が母国に帰った際、文化的な違いに改めて遭遇してショックを受ける現象を指す表現である。僕は直近の二年と数ヶ月をオーストラリアで生活した後に先月日本へと帰国したばかりなので、この逆カルチャーショックを受け続けている。今の時代ではYouTubeなどでこの手の体験談はいくらでも転がっているし、それらの動画をいくつも見てきたのだけど、やはり実際にいざ自分の経験となると文字通りショックを受けるものである。映画や小説の中で散々描かれている浮気というものを、現実に自分のパートナーにされた時も同じような感覚だった。「ああ、そういうパターンね」とは決してならない。
 数ある中でも一番大きな逆カルチャーショックはやはり「食」である。日本ではレストランからスーパーマーケットに至るまで、あらゆる料理・食料品の小売りされている一人前に相当する量が圧倒的に少ない。これはかなり典型的な「あるある」だけれども、やはりそこには典型になりえるだけの衝撃がある。帰国して一週間ほど、僕はスーパーマーケットへ行くのが楽しくて仕方なかった。何もかもがちょっとづつ売っているからである。例えば僕はアイスクリームに目がないのだけど、『スーパーカップ』や『爽』のような一人分のカップアイスはオーストラリアにはほとんどない。ファミリーサイズが基本で『ハーゲンダッツ』もパイントでしか売っていないのだ。惣菜パン・菓子パンなんかも一個あたりのサイズが非常に大きいか、同じ種類のものが複数個セット売りになっているパターンが多い。
 和食全般に言えることだが、ちょっとした煮物や漬物が少量だけ入った小鉢が数品並ぶように、日本には色々な種類のものを少しづつ食べる文化が根付いている。これはおそらく欧米人にはあまりない感覚で、彼らはきっとピザだけ食べていれば幸せなのである。まあさすがにそれは乱暴な物言いだが、少なくとも奴らは米もサラダもメインディッシュも全て一つの大皿に盛り付ける。そして『キル・ビル』みたいな映画を作るのである。
 オーストラリアに住んでいた時、数人の友達とレストランにランチを食べに行ったことがあった。よく分からないネーミングの何が入っているかも分からないような料理とドリンクがメニューに並んでいたので、僕は無難にハンバーガーとアイスコーヒーを注文した。するとソフトボールくらいのサイズのハンバーガー、悪ふざけで極端に増量されたかのようなフライドポテト、さらに悪ふざけで極端に減量されたかのようなサラダが乗った大皿が運ばれてきた。次いでアイスクリームが載せられた激甘のカフェオレも到着した。ブラックコーヒーが飲みたければ、オーストラリア英語ではロング・ブラックと注文しなければならなかったのである。結局、僕はポテトを友達に分け与えながらなんとかハンバーガーとサラダを平らげた。腹十二分目くらいになった。
 そんな経験があったので、帰国直後にモスバーガーに行ってモスチーズバーガーのセットを食べた時には拍子抜けしてしまった。別に量的にも質的にも満足だったのだけど、食事というある種の娯楽の時間があっという間に終わってしまったのがなんだか寂しかったのである。蒸し暑い日本の炎天下に晒されながら、僕は来た道を十分くらい歩いてとぼとぼと帰った。その時はまだ車の免許が失効したままだったのだ。

 逆カルチャーショックの別の例を挙げてもう一つパラグラフを書くつもりだったが、「食」に纏わるエピソードが長くなってしまったのでこの辺りで止めておく。それにしてもハンバーガーが食べたくなってきた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?