見出し画像

セール品を習慣的に買うことの弊害

 スーパーに買い物に行く前に冷蔵庫の中身をチェックし、スマホのメモで必要なもののリストを作るようにしている。無駄なものを買わないためである。シンプルに節約のためでもあるし、食材が重複して食べきれずに捨てるのは勿体無いからだ。それでも余計なお菓子を買ってしまうし、値下げされている商品を衝動買いすることはある。逆に一番高い聞いたこともないようなブランドのコーヒー豆を買ってみたりもする。その程度の贅沢は我慢する方が不健康だろう。
 食料品に比べると服にはもう少しお金が掛かる。僕はちょっと良い服をセールの時期だけに買い、あとは古着を探すようにしている。新品で買うのは主に肌着・下着やTシャツなどで、自分の中でずっと定番のブランドをリピートする。たまに気紛れでトレンドっぽいデザインのものをファストファッションブランドの安物で試してみたりもするが、大体はワンシーズンくらいで着なくなる。結局はあまり流行に左右されないような普遍的なデザインのものに落ち着く。

 このような生活感覚は少なくともここ数年は大きく変わっていない。自分としては庶民的かつ健康的な感覚だと考えていたし、それで特に問題は何もなかった。しかし、最近になってそれを少し疑い始めた。セール品を習慣的に買うことの弊害についてである。
 自分が欲しいものではなく、お得な物の中から何かを選択するのが癖になると、次第に欲しいものが分からなくなるという気がする。欲しいものが分からないのだから何かを真に手に入れることはできない。「何かが欲しい」という漠然とした欲望しかない人間は、何を手に入れても満足できないからである。しかし、欲望自体は失くならない。そうやって手の届く範囲の中であらゆるものをまかなうのが常態化していくと、欲しいものや目標を設定してそれを手に入れるために努力をするという機会が減っていく。そしてお得だったという理由で選んだものを、欲しかったから選んだのだとやがて錯覚するようになるだろう。そんな風に価値判断能力は少しずつ鈍化・矮小化され、それを「分相応」とか「足るを知る」いう都合の良い解釈で捉え続ければ、やがて人生における重大な決断の際にも同じ基準で考えてしまうに違いない。自分が本当に求めているものではなく、手に入りやすいものを選んでしまうわけだ。身の丈をわきまえるのも重要だが、人生の早い段階で自分を定義付けてしまうのも考えものである。

 勿論、食料品や服を買うような些細なことでこれほど深刻になる必要は全然ない。そもそも毎日のように回らない寿司を食べたい訳でもなければ、ブランド物に身を包みたい訳でもないし、そんな人はいないだろう。ただ自分の本当に欲しいものがよく分からない時に、セール品の中から探してしまうのを止めたいだけである。
 手始めに来年は一切のセール品を買わないつもりだ。まあ欲しかったものがたまたまセールになっている場合は例外だけれど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?