大人の対応
あまり好意的な印象を抱いていないまま別れた知り合いを思い出し、次に何かの偶然で再会した時にどのような対応をするべきか考えることがよくある。愛想良く世間話をするのが大人の対応なのかもしれないが、思い切り冷たい態度を取ってやりたいとも思ってしまう。しかし実際にはどちらにも振り切れず、意味もなくヘラヘラしながら、当時のことをあまり覚えていないかのような小芝居をするのがオチだ。
特定の個人に対するネガティブな感情を保ち続け、それをモチベーションへと昇華することに誰も異論はないだろう。しかし、本心を胸に秘めたまま大人の対応をしても、相手が連れない態度を取ってきたら癪である。逆に何事もなかったかのように親しげに接してきたら、自分だけが気にしていたのではないかと惨めな気分にさせられる。もし相手も大人の対応をしてくれているのだとしたら、僕達は共に上部だけの薄ら寒い会話をする羽目になる。それだけならまだしも、周囲が「あの二人は仲が良かったのか」と勘違いしないとも限らない。自分の本当の感情は自分が分かっていれば良いと強がることもできるが、そんな風に状況を複雑にするのが果たして大人の対応なのかどうかは疑問だ。
とある大手の携帯キャリアと揉めたことがある。そうなるまでに至った経緯を事細かに書いてみたら信じられない文字数に達してしまったので、できるだけ割愛して手短に説明する。料金プランに関する認識の食い違いが発端となり、僕はスマホに買い替えてからもガラケーの料金を合算してずっと払い続けていた。最初の時点での向こうサイドの説明が不十分ではあったが、こちらも適当に頷いてしまっていた節はあった。問題が表面化するまでには数年の月日が掛かっており、僕はその間に何度か引っ越していたゆえに都度違う店舗で違う話を聞いていたため、責任の所在がよく分からなかった。何度も電話を掛けたり実際に店舗へと足を運んだりしたが、延々とたらい回しにされた。
最終的に僕は平日に仕事の合間を縫い、最初に契約した実家の最寄りの店舗まで県外から出向いた。ありとあらゆる論理が頭の中で整理してあったが、駐車場に車を乗り付ける際にガラス張りの店舗の中に店員が見え、事態が想定外の領域にあることを知った。彼は高校の同級生だったのだ。仲の良かった友達では決してなく、むしろちょっとした諍いがあって揉めたことのある男だった。対面すると「あっ」「おお」「ああ」みたいに微妙な感じになった。結局、既に上の人間が判断していたらしく、僕は数年分のガラケー料金を口座に払い戻してもらった。この一件や僕という人間の本質を象徴するように無粋な幕切れだった。
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