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同じクラスの転校生にあだ名をつけたことがある

 小学六年生くらいの時、周囲の友達にあだ名をつけることに熱中していた時期がある。たしか切っ掛けはバラエティ番組の「笑う犬の冒険」である。誰かが別の誰かを「ナポレオン」と呼び、「そんな格好良いあだ名は未だかつて存在しなかった」と盛り上がるくだりに感化されたのだ。僕は手始めに所属していたサッカーチームの後輩達を順に名付けていった。個人的なお気に入りは「ウーパールーパー」で、今思えばパワハラな気もするが割とウケていたし幾つかのあだ名は定着した。中でも「ゾマホン」は一番のヒット作となり、彼は後に中学のサッカー部の監督にまでその呼ばれ方を採用される羽目になった。
 その他にも、同じクラスの転校生にあだ名をつけたことがある。僕は不純な思いで「前の学校ではなんて呼ばれてたの?」といわば布石として訊ねたのだけど、その様子を担任にたまたま目撃されていた。転校生が早く馴染めるように歓迎している風に見えたらしく、担任はそれをクラス会で褒め称えた。僕はその転校生を「マイケル」と名付けた。これも信じられないくらい普及し、少なくとも小六から中学卒業まで完全に定着した。
 その後、不思議なことに気付いた。ある程度の時間が経過すると「あのあだ名は俺がつけたんだ」と起源を主張する人物がたまに現れるのである。最初、僕は著作権を侵害されたような気分になって必死に反論した。しかし彼らが嘘をついているのではなく、本当に自分が名付け親だと信じ込んでいるのがやがて分かった。たしかに一歩引いて状況を俯瞰してみれば、幾つかのあだ名に関しては僕も記憶が曖昧だった。しかし、「ゾマホン」と「マイケル」に関しては絶対に譲れない。今でも確信がある。
 
 十七歳くらいの時から、僕はギターで作詞作曲をするようになった。もちろん最初は好きなバンドの曲をコピーしたり、それを友達とバンド編成で演奏したりするだけで満足だった。しかし、どこかの時点で功名心が首をもたげた。音楽誌で読んだニルヴァーナのインタビュー記事の中に「自分のスタイルを早く確立しなきゃっていつも思ってたんだ」というカート・コバーンの発言があり、「じゃあ俺もそうしなきゃな」と考えた記憶がある。
 それから現在に至るまで(随所にブランクはあるものの)、僕は創作という行為を続けてきた。そして、自分は天才でもなんでもないという事実を思い知ってきた。真の意味でオリジナルな何かを確立することは出来なかったし、これからも出来そうにない。『ゴッドファーザー』で言えば僕はマイケルの器ではなく、どう高く見積もってもフレドが関の山である。しかし何よりも肝心なのは、それが創作を辞める理由には十分ではないという事実だ。僕はフレドとしての役割を果たさなければならない。その責任さえ全うできれば、『ゴッドファーザー3』には出演しなくて済むのだから。

 なんだか良い感じにまとまった気もするのだけど、全然意味不明にも見える締め方になってしまった。これが僕のフレドたる所以である。

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