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過剰

 岐阜の飛騨高山を旅行した際、とあるステーキレストランを訪れた。事前にネットで調べて予約しておいた店で、僕は250グラムで八千円くらいの飛騨牛のステーキを食べた。言うまでもないけど普段はそんな高級な肉は食べない。僕はソースを掛けて最初の一口を食べた後、もう一度ソースを掛けた。そして二口目を食べた後、旨味の大半が肉それ自体にあると気がついた。試しにソースだけを舐めてみるとほとんど味がしなかった。

 仕事の出張で石川の金沢に行った際、宇宙軒という謎の定食屋をランチで訪れた。勿論下調べした上である。そこの看板メニューは炒めた豚バラ肉の定食で、レビューによれば独特なソースが病みつきになるとのことだった。確かにそれまでに経験したことのないような味がした。材料の見当がつかない複雑な味わいのソースで、ご飯を掻き込まざるを得ないジャンキーな旨味があった。しかし、SF的要素はどこにも見つけられなかった。

 普段、僕は濃い目の味付けを好む傾向がある。マグカップに並々一杯で飲むコーヒーはエスプレッソ並みに濃いし、トマトパスタにはニンニクとオリーブオイルをたっぷりと使った上でパルメザンチーズを親の仇のように掛ける。インスタントラーメンは指定量より少なめのお湯で作るし、なんなら鰹節で出汁を取った上に醤油とみりんを足したりもする。なんでもかんでも濃ければ濃いほど良いという訳ではないのだけど、世間一般の味覚からはかなりズレていると思う。単に好みの問題と言ってしまえばそれまでだけど、素材だけで成立するようなものばかりを習慣的に食べられるほどの甲斐性はないので、消去法的に味覚が偏ってきたのかもしれない。

 ここで一線を引いておきたいのだけど、僕は辛い食べ物が苦手である。嫌いな訳ではないが自ら進んでは絶対に食べない。理由は単純で食事中に汗を掻きたくないからだ。特に汗っかきではないのだけど、清潔な状態ではなくなる要因を積極的に受け入れることはしたくない。また、日頃からただでさえ味の濃度で腎臓なんかに多大な負担を掛けているのだから、別の要素でさらに体を虐めるのは気が引ける。なにせほとんど食べないのでよく分からないのだけど、多分、激辛料理とかは辛味ではない部分でも得てして濃厚な味付けであろう。しかし、そういう過剰さそのものは嫌いではない。何事においても、やり過ぎるという行為は引き算の美への通過儀礼である。僕は味覚においてまだその段階には達していないので、あの飛騨牛のステーキに宇宙軒のタレを掛けたらどうなるのだろうかと考えたりする。

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