昔から海がすきだった。それは別に、泳ぐのがすきだからではない。ただ、いつもそこにあったから。それだけだ。
わたしは泳げない。
わたしたちの前に流れる日々は海に似ていると思う。ゆらゆらとただ流れて、ときどき大きな波が来て、また静かになる。
海の底は暗くて、上に行くほど明るい。
つよい魚がいつだって優勢で、泳げない魚なんて生きていないのと同じだ。そして、欲を持つとばかをみる。
でもそんなことは考えない。綺麗だから。きらきらしているから。
海にだけ存在する、あたたくて柔らかい時間。
わたしがおもうすきなひとは、いっしょに海をみたいかどうかだった。なんにもない海岸線をただいっしょに歩けるか。
だから、すきなひとには必ず海に行きたいと言った。
そのために、海ばかりに誰かと2人の思い出が増えていくのは酷だなとは思った。
でも、海は広いからそんなの全部気にしないで、きっと飲み込んでくれる。
海のある街に生まれてよかった。
海のない場所で生まれた人たちはどうやって愛について考えるのだろう。
君と海を歩きたいなんて、それはもう告白みたいなものなんだよ。
わたしが泣いていても笑っていても、夜でも朝でも、いつでもそこにある。ずっと、ある。
わたしがしんだら、海に撒いてほしい。
そうしたらきっとだれもわたしを忘れない。わたしは寂しくない。
そうして、海に訪れる人たちのすべてを、受け入れてあげるんだ。
海はわたしがしんだら、寂しいだろうか。
訳の分からないことを考える。
夏が来る前に、君に海にいきたいと言ってみよう。

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