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選ばれない悔しさを噛み締めたクリスマスイブ

サンタさんが私にくれたのは、見えないプレゼントだった。「選ばれなかった悔しさ」というものを心に置いていったのだ。

選ばれなかったのは、ことばと広告さん主催の「#モノカキングダム2023」というコンテストで、期間中に上記のタグをつけてテーマに沿ったnoteを出し合うという祭典でのこと。投票権はnoteを書いた人に付与されるという仕組みで、私は参加者として50記事を超えるnoteを読んで投票もさせていただいた。

今日はモノカキングダム2023の結果発表があり、私のnoteは選ばれずに終わりました。私のなかで悔しいという感情が生まれたのは「1位になれなかったから」が大きな理由ではない。

投票数が0票、すなわち参加者の誰1人として「投票したい」と思うほどいい記事が書けなかったということが1番堪えたんだと思う。投票結果が見れる仕組みなので、誰の心にも届けることができなかったんだと反省している自分がいる。

参加者みなさんのnoteを読んだうえで知った結果だったので、相対的に「いい記事じゃなかった」というのは納得している。そうだよな、と素直に思える。結果を見る前からわかっていたのに、なぜか心は悔しさでまみれていた。なぜだろう?

向き合い方が良くなかったのかな?

テーマ「あったか」に対して、テーマを知ったその瞬間の発想で即興的な感じで書いたもので、誰に読まれるか、どんな内容が読む人にとって「あったか」くなるのか、綿密に考えることをしなかったから後悔しているのか?

上記のような勢い任せに書いたnoteだったので、結果に繋がらなかったことは理解できる。頭では理解できるのに、心は反対の方向を向いているみたいだ。

大人になってから「悔しい」と思う機会が格段に減ったせいか、この感情の免疫が薄くって悔しさが心に残っているのかもしれない。放置していれば自然と悔しさは薄れていくだろう。時間が解決してくれるなんて言葉もあるわけだし。

でも、そう簡単に忘れてはいけない感情な気がする。

多分この感情は今後の自分を突き動かす1つの要因になりそうだし、放っておいていいものではないと思ったのでnoteに残しておく。ただ現段階で「意味のある経験だった」だなんて綺麗な言葉で収められるほど、私の懐はまだ大きくなかった。全然収まってない。けど、いつかそう思える日が来るかもしれないし、そう思えるようにするためにもnoteに残しておく必要がある感情だと考えた。

悔しかったから、じゃあ次はどうするのか?とすぐに次を見据えられたわけでもない。マイナスの感情というのはそんなスルッと回避できるものではないらしい。

この感情をどう捉えて、今後どうしていくのかは2023年が終わるまでに考えよう。

大人になってから「悔しさ」を感じて、この経験がためになったと思うまでどれくらい時間が必要なのかわからないけど、「意味があった」と思えるその日までまた書いていこう。

〈以下、反省会〉

私がモノカキングダム2023で書いたnoteはこちらです。

大好きなものについて書いたものだからこそ、悔しいと思ったのかな?わからん。わからんけど、自分にとっては「いい記事だ」と思ってたりもするので、自分のいいと読み手のいいが両思いになるようなnoteが書けたら良かったんだろうな。

数あるnoteの中から、私のnoteに読みに来てくださりありがとうございます😌最後のページまで来てくださって感謝です💌 私のことばが誰かの心に届けば、、、と毎日奮闘中です💭あなたの心が動いて「こいつ、やるやんっ」て思ってもらえたらサポートお願いします👀🌟