松本山雅に出会った日。

最初に述べておきたい。
私は長野県出身でもなければ、長野県で育ってもいない。
そう。長野県には縁もゆかりもない人間だ。

それが今となっては長野県に通うようになった。それは何故か。

『松本山雅』に出会ったからだ。

松本山雅を知ったきっかけは松田直樹と昔の記憶だから定かではないが、やべっちFCのクラブヒストリーだった気がする。

当時はまだ中学生であり、学生時代を過ごした場所が東北ということもあって応援には行くことはできなかった。ただ、松本の試合結果の動向は逐一チェックしていた。そして、高校を卒業した私は就職のため上京し、本格的に松本の試合を見に行けると思うとワクワクが止まらなかった。

そして、初めて松本山雅の試合を観戦した。最初はアルウィンではなくアウェイ湘南戦だったが、驚愕の一言だった。正直、どこのチームもいかにもサッカーが好きって感じの男たちしかいないと思ってた。しかし、見渡すと老若男女さまざまな人たちがゴール裏にいた。

「今日も一つになって追い求めろ俺らと
信州松本のFootballを 行け山雅」

「どんな時でもオレたちはここにいる
愛を込めて叫ぶ 山雅が好きだから」


恋に落ちた。

繰り広げられる応援は統率されていて、どこか綺麗で、でも迫力がある。そんな応援だった。

これが松本山雅にのめり込んだ最初の出会いだった。

これ以上話すと長くなるので、2019シーズンの話をしたい。

総じて言えば、J1は甘くなかった。
J2を制したはずなのに、二位で昇格した大分のほうが順調に勝ち点を積み上げていた。
勝てた試合は34試合中の6試合。勝ち星の数は最下位だ。とにかく点が取れない。惜しいシーンはたくさんあるのに。

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それでも、選手もサポーターも下は向かなかった。折り返してからの後半戦は勝ちは少ないものの、上位陣とも互角に渡り合い地道に勝ち点を積み上げた。個人的に思い出深いのは10/5のアウェイベガルタ戦。開始早々のセルジーニョのゴールを守り切り久しぶりに掴んだ勝ち点3。帰ってる時もニヤニヤがおさまらなかった。この試合は攻めきるということがしっかりできていた。5月の試合でボコボコにされた鹿島にも引き分けた。「残留」が現実的に思えた人は僕だけではないだろう。

11/10 アウェイ鳥栖戦。
今シーズンで 一番、悔しかった試合である。
少なからずそう思う人もいるのではないだろうか。勝てれば大きく残留が近付く。決起集会も開かれてボルテージは最高潮だった。

しかし

勝てなかった。

歓喜の鳥栖を目の前にただただ呆然としていた。怒涛の3連敗。終盤にきて勝ち点を積み上げれない。降格が決まった。

パナソニックスタジアム吹田でその事実が突きつけられた。なにかが脆く崩れ去った。振り絞って叫んだ「松本山雅!!」のコールに涙が止まらなかった。

その試合の後、Twitterで呟いた言葉がある。

「落ち込む結果の時こそ前向いてまた頑張ろうって雰囲気をみんなで作れるのが松本山雅なんだと思います。

僕はそんなチームに恋したんです。」

ありがたいことに皆さんからたくさん反応を頂いた。インスタに載せたいという風に言ってくれた方もいた。
必ずJ1に戻ってきて、みんなと最高の景色を見たい。J1より試合数が多くより地方に行くことになるタフなリーグだがみんなで戦い抜こう。最終節で諦めずに取ったあの一点が来シーズンへの期待度を高めてくれた。

長々と書いてきたが、私にとって松本山雅に費やしてきたお金と時間は全て価値あるものだ。
サポーターの皆さんのチームへの愛情はJリーグの中でも特別だと思う。どのリーグやチームでも新陳代謝はある。時に別れは思いがけずやってくるものだが、それをプラスに変えていくことができるのもサポーターの力だ。だから、来シーズンもみなさん満員のアルウィンで選手を後押ししましょう。

私はこれからも松本山雅を応援し続ける。
松本山雅に対する愛情、サッカーに対する愛情がなくなる事はない。
素晴らしいです松本山雅は。

それでは、また会いましょうアルウィンで。

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