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成人式と自己解放

ニュースなどで度々取り上げられる福岡県北九州市の二十歳の記念式典(旧成人式)を見て感じたことを書いてみる。

2020年のとき見に行っていて書いたもの

3年ぶりに会場周辺を見た。相変わらず傾いていた。若さというエネルギーに満ち溢れていた。会場近くのコンビニやドラッグストアの駐車場でワゴン車から自己主張の激しい改造袴姿の男たちが自分の名前を印刷した旗を持って降りてきた。ある人はキャリー付きスピーカーを曳きながらラップミュージックを垂れ流していた。自己主張のダメ押しだった。会場の広場(運動公園)でホイッスルを吹き鳴らし、集団で異様にノッていた。傾いた男たちの表情はギラついていた。衣装というカタチから引き出されたところもあるだろうし、複数人で集まっているからだろう。蝗害のバッタの孤独相から群生相に変わるように見えてしまった。傾いた格好した人でチー牛のような表情の乏しい男はいなかった。

北九州市側が広い会場を用意してくれたことは良い采配(見る側にとっても)だった。現代社会は筋力・武力での暴力を法律で封じている。冷静に見なくても、いくら主役でも近所迷惑としか感じられなかった。この日以外で同じ事をしていたらアウトローの匂いしかせず、即警察に通報するだろう。グレーゾーンというお目溢しされた状況で、加害性を発揮できる人生最後の機会のように思えた。勢い余ってケンカになることもあるようだ。例の流行り病で青春を奪われた分を儀式にぶつけているのだろう。たぶん彼ら最後のやんちゃは自分をバリバリに飾り立て気分をアゲアゲし、仲間でワイワイする。

学校(社会人でも)生活では規則正しい生活を送り、周囲と協調していくこと(自己抑制)が望まれている。この式では学校生活で望まれていることとは逆方向(自己解放)になっている。自己解放は男子学生の時点で異性への恋愛関係の開始や継続でしか経験できない障害の高さがある。縁の無い人にはとことん無いが、式をきっかけに自己解放を経験できるのが最大の利点になるだろう。この経験が後の人生で実りあるものに変えていくに違いない。自己抑制に傾くとチー牛になり、自己解放でバランスを取らないと祈りあるものになってしまう(就活などのお祈りメールにかけている)。自己抑制と自己解放の均衡点にあたるものが自己アピールにあたると推測する。

2020年の動画だが見ていると、外見はお近づきになりたいとは思えないが、内面はフツーの兄ちゃんたちだ。武勇伝も大人しい。衣装や髪型を計画的に準備して式に臨んでいる。3:40あたりで衣装代が30万円と言っていた。2023年は見た限り、傾奇者は減りホスト系も減り普通のスーツ姿が存在感が増していた。傾いた衣装にかける経済的余裕がなくなったのか、高校時代の例の流行り病で精神的去勢されたのか疑問が湧いた。どちらかと言うと貧困化が目立ち始めたような気がした。

フィクションの中でしかない存在を現実に見られるのは心躍ってしまうのだ。

たぶん旅行の代金になります。