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初救急車初入院生活

注:記録用として点滴している腕の写真を載せているので苦手な方は回れ右お願いします。

目が覚めたのは推定午前零時頃。胃の違和感のせいだった。
夕食時に酒を飲んでいたので僕は「ああ飲み過ぎだな、吐くのかな」と思った。が、様子が違う。
すぐに吐き気は来なかった。代わりにやってきたのが痛み。僕はすぐに「これ前にもあったやつだな」と察した。

その時のことを書いてあるnoteが上のものだ。
このときも床に這いつくばってこのまま死ぬのだろうかと思ったが、もうこの程度では死なないことは学習した。前回ではただ痛みに耐えてやり過ごして、後日病院に行こうと思うほどの後に残る違和感もなかった。

痛みの波間を縫いながら、ベッドから這い出してコンビニ袋を取り出し吐いた。その後胃薬を飲む。すぐに痛みをどうにかしてくれるとは思えなかったが気休めだ。そしてとりあえずスマホを手にした。
そこから考えた。今この痛みをやり過ごしたところでこの後病院に行くか? 否、自分にそんな根性はない。
では、自分で病院に行けないなら運んでもらってしまえ。ということで救急車を呼ぼうとしたが、とっさに番号が思いつかなくて検索する。
「救急車」と検索バーに入力したところでそのあとに「呼ぶ基準」という予測が出てきた。確かにこれは呼ぶに値するのか気になってそれを検索して、出てきたのが「♯7119」、救急安心センターというらしい。
僕の頭にTwitterとSkyで親しくしているフォロワーさんのアイコンがよぎった。これ、病院行くかどうか迷った時にかけて聞いてみるといいよって言われたやつだ。
ということでかけた。色々聞かれたが聞かれるままに答えて内容はよく覚えていない。その中でひとつ、「床に転がったまま胃の痛みで動けないでいます」という答えで救急に繋げてもらったのは覚えている。
電話が119番に切り替わった後の会話もよく覚えていない。質問されたことにただ答え、けれど重要として頭が拾った内容が「十分ほどで到着」「自宅の鍵を開けてください」ということだった。
正直絶望だった。十分痛みが続くとして自分はそれに耐えられるのだろうか? その中で鍵を開けられるのか? 電話を切った後に「十分」と呻くように呟いた。

しかし痛みには波があった。這って玄関へ行き、また吐き気を覚えてすぐ隣のトイレになだれ込む。涎を垂らしているところで救急隊員が来た。確か保険証はあるかということを聞かれて這って鞄を取りに行く。
意識もあるので自分で担架に乗るように促され、転がり込むようにそこへ乗った。そして救急車へ。
救急車に乗ってからも質問攻めだった。コロナのワクチンは打ったのか、それは一回か二回か、ファイザーかモデルナか。夕食は何を食べたのか等。
僕はこの夕食が何だったかで「刺し身」と答えた(実際にはもっと色々食べていたが)。答えたあとで気がつく。「これアニサキス疑いとして対応されるな」と。実際そうなった。

病院についてからも同じようなことを質問攻めにされた。その後すぐに採血と点滴を受ける(利き手の逆の方に点滴しますねと言われた気がしたがなぜか利き手につけられた)。その後に待っていたのが鼻の粘液の採取だった(おそらくpcr検査)。両方の鼻の穴にそれぞれ綿棒を突っ込まれる訳だが、胃痛と比べたらまだマシだというのに涙が出た。
病院についた頃には、最も強かった胃痛から十段階で数えると五くらいになった。ちなみにその段階で言うなら綿棒は九か八にプラス気持ち悪さと苦しさだった。僕はたぶんこの「苦しい」に弱い。
そのくらい落ち着いて少しなら歩けるくらいになったところで、尿検査とCT検査。それが終わったら病棟を移動し、入院する部屋に移された。そこでくっついたままの点滴と心電図の扱いを少しだけ説明される。
ようやく寝れるとなったときには午前三時を過ぎていた。


入院生活

ツイ廃の身なので、Twitterにそれはそれは色々なことを書いてきた。そのたびに病院行けと本当にいろんなフォロワーさんに言われた。
ある人は「自分があなたの家族だったら無理矢理にでも病院に連れて行く」と言い、ある人は「自分のようにならないうちに早めに見てもらったほうがいい」と言い、また色々世話になっている薬学生の友人にも「病院行ってね」と言われていた。もういい加減ここらで行かないと示しがつかないなというふうに考えていた。
そう考えて救急車を呼んでいた。救急車か、フォロワーさんが言ったように無理矢理にでも病院に連れて行ってもらえないと行けないほど、僕は病院までの行程で無駄足を踏み続けていた。

だから朝になって起きて「胃カメラします」と言われてむしろお願いしますという気持ちだった。しんどいらしいよ、というのは職場の健康診断の際に度々話題になっている。でもここまで来て、しかもアニサキスの疑いがかかっているのに胃カメラなしはありえない。
覚悟は出来ていた。というか、床に転がっていつ終わるともわからない耐えるだけの胃痛と比べたら全てがマシに思えた。

気持ちとしては満を持して胃カメラに望んだわけだが、なるほど聞いたとおり苦しかった。麻酔のおかげで痛みは全くと言っていいほどない。けれど喉に当たる異物感で常に吐きたい衝動がある。食道の壁ををぐいぐいかき分けながら異物が体に入ってくる感覚がある。何より最初から最後まで呼吸の仕方が分からなかった。「鼻で吸って口で吐いて」とは言われているのだが、マウスピースで口は開けっ放しにされているために呼吸をしようとするとどうしても口から息を吸ってしまうのだ。試行錯誤している間に「上手だよー」と声をかけてもらえるのだが、「どれが??」という感じだ。何が良くて何が苦しくなるのか分からなくて、最終的に息を止めている間が一番楽らしいぞということに気がついた頃に終わった。途中どうしても苦しさで体が動いた。
労働と病気以外でこれほど身体的に苦しいと思ったことはない。終わったあとは達成感で笑みがこぼれた。
しかしアニサキスはおらず胃もきれいだったというお墨付き。煙草も酒も遠慮はいらないということだなと内心さらに喜んだ。

入院生活の中で不便だとか面倒だとか思ったのは、とにかく体にくっついたままの点滴と心電図だった。救急車で運ばれた人間にはもれなく心電図付きになるらしい。点滴は胃を使って栄養を取り込めないのでその分を血管から送られてくる。水もほとんど口にしていないのに尿意を催すのが不思議な感覚だった。
あとこれは推測だが点滴の針については練習台にされただろうかと思っている。左が出来なさそうで右にしてみたとか。ずっとじんわり痛かったしほのかに腫れてる気がするしちょっと内出血っぽいけど「そういうものなのかなあ」と思っていたらそれを見た看護師さんが「悪化するようなら左に付け替えようか」と言ってくれた。この状態アカンのかよ。正直今もほのかに痛いし若干熱持っている。これ刺してくれた人、ちょっと失敗してるから次はもっと上手くやってあげてくれ。
でも既に右手痛い状態で左手まで動かしにくくなるのはなあ。とか思っていたが担当医が来て「血液検査で炎症収まってるの確認できたから退院しても大丈夫だよ」と言われた。
(今日)退院した。

結局、健康体で何が原因で胃痛と嘔吐があったのかは謎のままになった。収穫としては、幸い胃はきれいらしいので飲み食いに遠慮はいらなさそうだなということ。胃炎ですらなかったのだ。刺し身と一緒に酒も飲んでいたが、そっちが原因なら血液検査で指摘されそうなもの。


ということで、元気です。三度目が来るなら一度目と同じく耐えるに徹するでしょう。やっぱ病院は無駄足だな。

とは言えず、大通公園の紅葉が楽しめたし仕事も休んで貪るように眠れたので、ちょっとした息抜きになった。看護師さんたちも非常に丁寧に接してくれて、精神的にも楽だった。
僕としては九割バカンス気分の入院生活だったのでした。ご心配をおかけした方々、ごめんなさい、そしてありがとうございました!

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