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〈約束〉知冬

『ね、明日暇?』
『どこへ行きたい?』
 短いメッセージのあと、待ち合わせ場所にワンボックスカーが停まる。僕はその助手席に乗り込んで地図を広げる。
「この道をまっすぐ行ってね、右。で、ずっと真っ直ぐ。僕がいいってところまで」
「了解」
 ハンドルを握る青年は楽しそうに口元をほころばせた。凛々しい顔に、ふわりと柔らかさが乗る。
 桜井海音はいつ見ても綺麗な青年だと思う。男の僕でもそう思うんだから女性から見たらどれだけ魅力的なんだろう。整ったパーツと完璧な配置。透き通る肌の白さとか顔の小ささなんかは女性的な雰囲気もあるけど、切れ長で意志の強そうな目元が男らしい。総合して中性的な美形になっている。僕もこんな顔に生まれたら人生違ったかも知れないと思ったりする。ていうか車運転してるだけでかっこいい。なにそれずるい。
 街灯が照らす道をひたすら走っているうちに、街灯も少なくなり通行量も減っていく。夜の道を自分で運転するのは怖いけど、助手席で堪能するぶんにはわくわくした。
「海音運転上手いね」
「知冬だって運転するだろ。大して変わらない」
「そうかなあ? ブレーキとか上手だよ。すごい」
「こんなことで褒めたって何もでねえぞ」
 彼はちょっと照れているようだった。涼やかな顔つきとのギャップがかわいい。多分年上のお姉さま方が喜ぶやつ。彼が僕の弟だったらきっと僕は劣等感で今頃生きていないだろう。そのくらいのやつ。
 こんな、素敵な青年と仲良くなってまだそんなに経っていないはずなのに、僕はすっかり彼に気を許していた。
 気を許すっていうのも変かも知れない。友達になったと言えばいいのか。でも友達でも、たくさん気を遣うよね。機嫌を損ねないように、不快な思いさせないように、楽しい気持ちになってもらえるように冗談の一つでも言わなきゃとか。でも彼に対しては一切それがない。そんな関係僕は初めてで、彼と一緒のときが一番気持ちが落ち着く。
「僕、海音だったら一緒に住めるな……」
「急に意味わかんないこと言うな」
 運転中、僕は眠気覚ましにグミを食べ、海音は煙草を嗜んだ。僕より年下で二十歳になったばかりのはずの彼は喫煙者だ。僕のほうが子供みたいだ。なんて、一緒にいると自分の未熟さというかお子様加減に愕然とすることもあるけど、なんか海音だから仕方ないか、といつも思う。
 出会った頃からこの関係だからか。年上だけどダメダメな僕と、年の割にしっかりしてて何かと世話を焼いてくれる海音。最初からこのポジションでズレたことはない。
「眠たい」
「寝たらいい」
「止まるとこわかんないじゃん」
「はは、確かにそうだ」
 他愛ない会話を繰り返し、僕は小さな橋を渡ったところで右折をお願いした。ちょっと驚きながら海音は右へ車を走らせ、そこにあった駐車場に車を停めた。道中お菓子やらおにぎりやら食べた僕たちは、そのまま寝る支度に入る。
 朝晩はまだまだ冷え込む春。僕は冬用のジャンバーやらマフラーやらを用意したけど、海音は寝袋を用意していた。
「この寝袋を広げて一緒に入ろう」
「えーでも海音のでしょ」
「寒いぞ。夜中絶対起きる」
 車中泊で実際にその経験がある僕は何も言えなくなる。後部座席の背もたれを倒して、二人で寄り添うように横になった。エンジンを切った車内は寒くなっていく。
「知冬、どうしてこの場所にしたんだ?」
「えー? 前一緒に行ったところは街の左側だから、今度は右側でいいかなって」
「そうか」
 僕らはたまにこうして突発的に遠出する。どこに行くかは僕が決めることがほとんど。海音はただひたすら付き合ってくれる。
 綺麗でかっこよくて気が利く最高の友達を独り占めしているようで、とても気分がいい。


 控えめに僕を呼ぶ海音の声で目を覚ました。車の外はまだ暗い。でも山の向こう側がうっすらと明るくなっている。朝の気配。
「おはよう」
「おはよう~」
 伸びながら返事をした。寒さで夜中に起きることもなかった。快適だと思っていたけど海音が離れていくことで寒くなる。
「もう行く?」
「すぐに明るくなるぞ」
「わかった」
 上着を着込み、車を出た。駐車場を出て橋を渡り、小道に入ったところで海音が立ち止まった。
「忘れ物した」
「ありゃ」
「先行っててくれ」
「うん」
 海音が車に戻っていく。僕は小道を進んだ。街灯はない。砂利の小道は砂になり道もなくなっていく。
 砂浜だ。その先に波音を響かせる海がある。歩き進んでいると、流木に黒い人影が座っているのが見えて立ち止まる。黒のロングコート。大きく迂回して避けるように進み、顔を盗み見た。何かを咥えている。たぶん煙草。でも火がついている様子はなかった。
 ここの地元の人だろうか。田舎なのに若い人なの珍しいなあなんて思いながら、海に近づく。
 もうひとり人がいた。果敢にもこの春先の海に裸足で踏み込んでいる。笑い声を上げてはしゃぐ。まるで子供みたいだったけど、背格好からするに多分大人の男。
「翼ー! 海めっちゃ冷たい!」
 そう言いながら彼は僕を見た。はっとして口許をおさえる。
「あっ……人違いでした」
「う、うん。そうだね」
 ここまで思いきり人違いされるのも初めてで僕まで動揺した。
「向こうに黒いコートの人いたけどお連れの方かな」
「そうです! すみませんでした!」
 十代のような元気の良さで、海で遊んでいた彼は僕の来た道を駆けていく。もしかしたら大人じゃなくて十代だったのかも。
 そういえば海音はまだかなと思って振り返ると、走っていく後ろ姿の他に、その先に二人分の影を見た。あれっと思って僕も戻る。
 海音が僕の通りすぎたロングコートの人と並んで煙草を吸っていた。
「あれ、翼火はどうしたの?」
「もらった」
「ライターじゃつかないんじゃなかったの? チャッカマン?」
 無邪気な問いに僕は笑った。海音がジッポライターを出してつけて見せた。
「なにそれかっこいい! 翼もこれにしなよ!」
「面倒」
「でも安いライター強風だとつかないって言ってたじゃん」
「うるせえな」
 無言で煙草を吸っていた海音が携帯灰皿に煙草を押し付ける。
「なんかなくなるの早いね」
「風が強いから。吸えば煙草が燃えるのと同じように風で勝手に煙草が燃える」
「そうなんだ」
 安い使いきりのライターだと風で上手く火がつかない。つけられてもあっという間になくなる。風の中での煙草は難が多いみたいだ。
「僕ら以外にもこんな時間に海に来るひとがいるんだね~。何しに来たんですか?」
「海を見に」
「それだけですか?」
「そう」
「僕たちもです~! 深夜にドライブに行くって、ついてきてみたら海でした!」
 海音と話している彼は、そんなことをとびっきりの笑顔で楽しそうに語る。
 その彼はめっちゃルックスがいい。薄暗くてよく見えないのが少しずつ明るくなって分かってくる。アイドルグループにいそうな顔の綺麗さをしていて、コロコロ表情を変える様が愛嬌があって可愛い。男だと分かっているんだけど可愛い。
 その彼が海音を見てはっと息を飲む。
「え!? めっちゃイケメン!!!」
「でしょう!?」
 全力で同意した。
「薄暗くて全然気がつかなかった……俳優さんとかモデルさんみたいですね」
「そうなんだよ~君もアイドルグループに入れそうなお顔してるね」
 僕がほめると彼は顔を両手で覆って照れていた。仕草までいちいち可愛い。
 なんとなく意気投合して自己紹介し合う。可愛い系の彼は天石くん。彼と一緒の煙草を吸っていた人は藍川さん。
 出会った頃僕と海音は身長があまり変わらなかったけど、最近段々身長を抜かれている。その海音より、藍川さんは高身長だ。そして可愛くて親しみやすい天石くんと対照的に、あまり表情が変わらなくて口数が少ない。
 すごく単純に言うと、なんとなく威圧感を覚えて怖い。海音はよくこの人に煙草の火をあげたなと感心する。まあ初対面の人間を家に泊めるくらいの積極性あるしな。
「お二人はこれからどうするんですか?」
「うーん、明るくなるまでのんびりして、いい時間になったら朝市にいくかな」
「市場があるんですか!?」
「うん。小さい朝市。魚を買って帰るの」
「すごい! いいなあ~! 翼も一緒に行こうよ!」
 藍川さんが面倒くさそうに眉を寄せる。
「魚好きじゃない? 食べたくない?」
「……魚は食いたい」
「よし、菊崎さんついていきたいです」
「おお、来るんだね。いいよ、一緒に行こう」
「やった!」
 朝日はまだ見えなかった。ゆっくりと明るくなっていく波打ち際を、四人で歩く。彼らは僕の住んでいる同じ街から来ていた。
 天石くんは本当に明るくてよくしゃべる青年だった。藍川さんと一緒に住んでいること、車は運転しないがドライブに同乗するのが好きなこと、来る途中の道中、暗闇から何かが出てくるんじゃないかと怖がっていたことなどを話した。
「僕めっちゃ怖がりというかビビりなんですよ。へへ」
「知冬と同じだな」
「ちょっと、恥ずかしいじゃんなんで言うの!?」
「初対面の時のビビりっぷりを思い出して」
「やめて!」
 天石くんが興味津々になってしまったので、僕は海音が幽霊だと思ってすっ転ぶほどビビった初対面の話をするはめになった。今度は藍川さんが鼻で笑う。
「未来も最初の頃俺を怖がってた」
「それ幽霊だと思ったからとかじゃなくて、藍川さんが怖いからだと思いますよ」
「だろうな」
 海音すごいな。物怖じしないというか肝が据わっているというか、普通怖いと思ってる相手にストレートに「怖い」って言う?
 とか思ったけど、藍川さんは別段気にしている様子もない。怖がられるのに慣れているのだろうか。
「でもね、本当はめっちゃ優しいんだよ」
 それは天石くんの言葉で、その表情は幸せそうなものだった。
 なんだか、いいな、と思った。ここに来る途中に「海音とだったら一緒に住める」なんて言ったけど、その「もしも」の姿を、彼ら二人に見た気がした。
 毎日楽しくて幸せなのかもしれないな、なんて勝手に想像してしまった。
 音もなく明けていく世界で、天石くんは波を踏んで遊ぶ。冷たいと言いながら、それをやめられずにいるようだった。時おり僕らの方を見て笑う。無邪気な姿がどうしようもなく綺麗だった。
 日が射せば藍川さんが目を眇めた。眩しいのが苦手なのかなとうっすら思う。天石くんは日の出を見て大層喜んだ。きれいな世界だった。

 夜が明けてしばらくしてから、僕らは近くの漁港に行く。
 足を濡らした天石くんのために、藍川さんは車からタオルを持ってきて渡す。天石くんの言っていた優しいっていうのは本当だったんだと、ちょっと感動した。我ながら失礼すぎる。
 僕らの車を先頭にして漁港まで行き、屋台のようなお店がいくつか並んでいるような、こぢんまりした朝市を見て回った。
「なんか虫みたいのいる」
「お前シャコ知らないのか」
 天石くんのちょっと怯えた声に、藍川さんが呆れたように応えた。見ると魚に紛れて、エビとワラジムシを合体させたような生き物が並んでいた。なんか気持ち悪い。
「シャコってなんか聞いたことあると思ったけどこんなやつなんだ……」
「知冬も知らないのか?」
「海音は知ってるの?」
「俺の住んでる街でシャコ祭りやるくらいなんだけど」
「なにそれ!? そんなんあるの!?」
 真顔でさらっと言われたけど、祭りなんて言って大々的にやるくらい有名だとは知らなかった。
 藍川さんはシャコを購入していた。天石くんはおっかなびっくりそれを見守っている。
「どうやって食べるの?」
「他の甲殻類と大差ねえよ。茹でて剥いて食べる」
「美味しいの?」
「不味いって知ってたらわざわざ買ってねえ」
 天石くんの不安は晴れないのか、それらを聞いても微妙な表情だった。
 海音も魚を買っていた。僕も自分で捌けそうな魚を数匹買う。一応自分で捌けるけど、下手なので難易度高そうなのは買えないでいる。反対に海音も藍川さんもカレイとかヒラメを買ってて、あれ捌くのだろうかとか考えた。煮付けにするのかな。
「一緒に住んでるって、藍川さんが料理担当なんですか?」
「いや、未来がやることが多い。でもこいつ魚は捌けないから魚料理は基本俺しか作らない」
 海音が話しかけたことによって、二人が何をどう食べたら美味しいかという話で静かに盛り上がりだした。海音の住む街は海に面して海産物に親しんでいるし、話を聞いていると藍川さんは学生時代にバイトで魚を扱っていたらしい。
 そして天石くんは手ぶらで、まだ並んでいる魚を楽しそうに見ていた。
 僕は港から海を見た。空と海の青が寄り添って並んでいる。
「きれいだな」
 今日という一日のすべてが美しいものに思えた。そのくらい、満たされた気持ちになれた。

 さて帰ろう、という頃になり、天石くんは眉尻を下げてスマホを取り出した。
「お友達になってくれませんか……」
「それが連絡先を聞くセリフなのか」
 また煙草を咥えている藍川さんが笑う。この人意外とよく笑うのかもなんて思ったりした。
 いいよと応えて、僕と海音は天石くんと電話番号を交換した。ちなみに藍川さんはスマホを取り出すこともなかったんだけど、勇者な海音が「教えてくれませんか」と聞きに行っていて僕は感心した。「未来と繋がってるならいい」と断られたのを見て、天石くんが無断で藍川さんの電話番号を教えてくれた。そんな天石くんは藍川さんに軽く小突かれていた。
 不安になりながら見守ってたけど、海音が躊躇なく登録しているのを藍川さんは止めなかったので、大丈夫だったのだと思いたい。
「楽しかったですね」
 天石くんが、はにかんで言った言葉に僕は頷いた。
「ほんとだね」
 この時間が惜しかった。帰る方向が一緒だし、連絡もできるとはいえ、楽しい時間が終わるのがやっぱり寂しい。だというのに藍川さんが容赦なく車のエンジンをかけて天石くんを待っている。
「また! また遊びましょうね!」
 そんな、子供っぽい「次の約束」になんとなく救われた。楽しい時間はこの次にもあるのだと思わせてくれるような、そんな気持ちにさせられた。
「バイバイ!」
 手を振り車に行ってしまう彼に、つられるように手を振った。迷いなく港から走り去っていく黒い車。
「行っちゃったなあ」
「俺たちも帰ろう。魚あるし」
「そうだったわ……」
 二人で車に乗り、シートベルトをした。窓の外を眺める。
「なんか、幸せだった」
 白い船。青い海。灰色のコンクリートでできた港。春を迎えたばかりの山。雲のない空。
 どれをとっても美しくて愛おしいような気持ちになるのが、不思議だった。でも多分、これが幸せということなんだろうと思えた。
「最後に『遊ぼう』なんて、知冬みたいだったな」
「え? 僕そんなこと言った?」
「言ったよ」
 憎々しげな海音の口ぶりに、僕は思い出す。確かに、言った。そしてそれは手酷い嘘だった。僕は車の窓ガラスに頭をくっつける。
「あのときは、ごめんね」
「別に。あの裏切りが嘘みたいにこうして遊んでくれてるし」
「あは」
 嘘を嘘にしたら本当なんだ。
 目を閉じて、願う。最初は自分から断ち切ってしまおうとしたこの関係が、末永く続くこと。この先も二人で、きれいなものを見に、楽しいことをしに出かけることが続くこと。今この瞬間は終わっていくけれど、また次、さらにその次と、約束が絶えないことを、身勝手に願っていた。

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