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結局「自己研鑽」とは何なのか

エッセイぎみ

会社の上司と自己研鑽に関する議論を交わした。その上司の考えやスタンスはここでは書かないが、休職した経験を持つことで、考えが変わった要素があるので一旦ここに書いておく。

免責事項

以下に述べることは個人の見解で、何もエビデンスがない。意見を正当化するつもりもなく、自分の考えの整理と、あわよくば読者の意見を仰ぎたいという動機をもって公開するものであって、何らかの客観的事実や新規発見を意味するものではない。

前提:3つの立場

「仕事に関する自己研鑽を、プライベートを犠牲にしてまで成すべきか」という議論は、個人的には(働き方改革も相まって)根深い問題だと思っている。周りだと

  1. 自分の時間を使ってなぜ仕事のための研鑽をせにゃならんのだ派

  2. 仕事に関わる勉強時間も給与に含まれている=仕事のうちだ派

  3. 趣味が仕事みたいなものなので、勝手に研鑽していることになっちゃう派

の大きく3つの対立見られるように感じる。これらは妥協点を得られることもあるが、基本的にわかり合うことはできないと思う。
企業側が自己研鑽を奨励するための施策の初手として挙げられるのは、「資格を取ったらボーナス」とか「コンペに出て成果が出たらボーナス」のような、自己研鑽に対するインセンティブを付与する施策の良し悪しは、制度をどのアウトカムに作用させるかに依存する(と思う)。

アウトカムと仮説

個人的には「組織のエンゲージメント向上」を目的とする場合には、インセンティブ施策は有効だと思っている。これは従業員のモチベーションがそもそも上記3である場合に妥当だと思っている。要は「会社に求められなくても勝手にやるが、インセンティブが出るのは嬉しい」ということで、これによる生産性・利益率の向上は期待できる。

一方で「自己研鑽によって向上した能力の投下による、生産性や利益の向上」の場合、インセンティブ施策はフリーライダーによってハックされる。
要は、奨励された勉強をするだけして、目的を達成したら転職する、というの悪影響のほうが強いのではないかと思う。結果、人材開発に投資しているのにも関わらず、人材の慢性的な不足と現場のスキル不足という、投資効果の低迷に陥る。

そもそも「自己研鑽」とは何なのか

ここまで書いて、「プライベート」とは何か、「自己研鑽」とは何かというのがよくわからなくなってきた。「プライベートを犠牲にして自己研鑽をする」ということがそもそもあり得るのかすら、よくわからなくなっている。これは自分の環境が恵まれている、というのも多分にあるのだと思う。

私はもともと統計学が好きで、プライベートでも関連する書籍や論文を読む事があるし、ブログを書くし、Githubで公開するし、SNSで話題になったら息を荒げて参戦する。今は思考回路をぶっ壊しているので、活動を縮小しているが、そもそもそれだけ好きでなければ、Discordサーバを立ててまで同志を集めたいとは思わない。プライベートを犠牲にしているという感覚がそもそも欠如している。その点で、立場としては3に近い。

結局この「プライベートを犠牲にしているという自覚の有無」が、専門職の能力を左右するというのが、今のところの個人的な結論ではある。
「成長のためにはプライベートを犠牲にしてでも学ばねばならぬ」という我慢の理論がそもそも相性が悪い。「それがプライベートになったとしても苦にならないほど愛せるように努力すること」が、強いて言えば「自己研鑽」なのではないかと思う。

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