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2年前の6月1日、私は暗闇にいた

もう、何回ごまかしてきたのだろう。
何回逃げてきたのだろう。

気付いたときには、
心も、身体もボロボロだった。

年配の知人から、
「あんたは素直で良い子や」
小さい頃から、ずっとそう言われていた。
でも、
自分には、いつまでも素直になれずにいた。

人前では、
まっさら自分には、なれなかった。
まっさらな自分を必死で演じていただけ。

がんばることが当たり前、
無理することが当たり前だった。

すごいじゃん!
偉いね。
あんたは良い子やな。

そんな言葉たちを浴びて、
周りに褒められて、優越感に浸れる。

そんな危険な感情に
ずっと溺れていたのかもしれない。

わたしが自分に抱くイメージ。
周りが私に抱くイメージ。
これらのギャップにも殺されかけていた。

そう気付いたときには、だんだんと、
ごはんの味がしなくなった。
美味しくなくなって食べられなくなった。

夜眠れないことが増えた。
些細なことが不安で仕方なく、
心配事が増えた。

朝起きることすら苦痛だった。

会社にも行けなくなった。
行くことで息が苦しくなった。

些細な事もプレッシャーに感じて
震えが止まらなかった。

貧血にもなった。
立ちくらみにもなった。

食べなければ痩せられる。
それは簡単だった。
食べなくても何にも困らない。
おかげで10キロ減っていった。

そんな状態になっても隠し続けたから、
「スタイル良いよね」
決して悪気はない、その言葉に脅されても、笑顔で振る舞った。

しだいに、 
仕事に行く事って、一体なんなんだろう。
何のために働いてるんだろう。
お金のため?
夢のため?
家族のため?
働く楽しさ、充実さなんて分からなくなった。

とにかく眠い。
とにかく外に出たくない。

何もしたくない。

布団に横になったまま、
カーテンさえも締め切って引きこもった。

お風呂にすら入る体力も精神もなくなったときには、さすがにヤバいと思った。

何もかもが、どうでも良くなって、
いっそのこと、
誰も私のことを知らない場所へ逃げたかった。

そんな状態になっても、
リスカをする勇気もなかった。

自分を殺すことを、目に見える形で、
他人に気付かれる形で、
しなかったのは卑怯だったとは思う。

死にたくない。家族を悲しませたくない。

その想いだけで、生きることを決めていたのかもしれない。
諦めずにいられたのかもしれない。


だから2年前の6月1日、休むことを決めた。

ぶっちゃけた話、
前の職場の上司に半年分の状態を
伝えて、休養宣言を出してもらえた。

そこまでしないと休めなかった。
というか、
助けを求めなかったのだ。
休む勇気が出なかった。

たかだか、2週間。
それが、さらに1週間。
そして、1ヶ月と休ませてもらった。

決して、休める立場でもなかった。
責任のある立場ではあったから、
負い目はあった。
でも、そんなこと考えてられなかった。

自分の想いを、
ぶっきらぼうな自分の言葉でも良いから
上司に話して良かった。

結果、仕事から離れて、
ほんの少しだけ肩の荷が下りた。

休養中は、
上司と一週間に一回の電話。
一日一回のメール報告。
たったの3行ぐらいだったけど。

正直辛かった。

でも休養宣言を出してくれた上司は、
まるで父のように優しかった。

どんな内容でも受け止めてくれた。
どんな時間でも、
必ず周りに人が居ないような場所で
電話してくれた。

この上司の優しさにふれて、 
私は仕事から離れられたのだと思う。

休養宣言が終りを迎える頃、
やっとの想いで病院にも行ってみた。
でも、
いわゆる、うつ病とも適応障害ともパニック障害とも言われなかった。

病名ぐらいあれば、納得したのに
私のケースは強いストレス症状が出ているってだけだった。

気休めの漢方薬と安定剤。

なんの効果も出ない。

飲んだからと言って治るわけじゃない。
いっそのこと、風邪薬でも大量に摂取して苦しみたかった。

そうすれば、みんな心配してくれる。

だって、そうでしょ。
素直で良い子な私が壊れちゃったら、ビックリするから。

いっそのこと金髪にしようか。
タバコ吸おうか。
酒豪になろうか。

そんな考えが過った。

どうしたの?
何があったの?

当然のようにかけてくれるだろう言葉を待っていた。
でも私は心配かけたくなくて、そんなことは当然のように出来なかった。
だから心配してくれるような、私が密かに求める言葉たちは降ってこない。

だから壊れていった。
壊れかけていった。

2年前の6月1日、わたしは暗闇のなかにいた。

そこから、
どうやって這い上がってきたのか。

振り返りたくもない。

でも今生きていることが乗り越えた事実だ。

だから、暗闇にいた環境から離れて過ごす今は確かに元気なのかもしれない。

元気って何だろう?
元気の基準って一体なんだろう。

笑顔を振りまいている人が元気だ、
なんて簡単には判断できない。

むしろ心配になる。

着飾っていても、
無理してるのが分かるから。

2年前の私に、
もう一度会えるのなら
伝えたい。

もう無理しなくていいよ。
ほんの少しでも余裕を持ったほうがいいよ。
ほんの少しでも休めるのなら休んでいいよ。

まわりが見えなくなるのと同時に、
自分も見えなくなるのだから。

それが一番怖い。

2年前の私に伝えられるのも、
やっぱり私だ。

大丈夫?
そう聞かれたら、
大丈夫!と、すぐ答えてしまう癖もあった。

大丈夫?の基準も未だに分からない。

だから、大丈夫?と聞かれても、
そのまま答えずに現状を伝えるようにしている。

それが、自分の心と向き合うことと、
自分の気持ちを伝える時間にもなる。

周りを大事にしたければ、
自分を大事にする。

それが2年前の経験から生きた知恵だ。


だから、今はどんな瞬間も愛おしい。

朝起きられなくても、なんとも思わない。

そんな日だってある。

夜眠られなくても、なんとも思わない。

そんな日もある。

大丈夫、必ず寝られるから。

きょう何を食べようか?

何時何分に食べなくてもいい。
三食食べなくてもいい。
別に死なない。
別に食べなくても罪にならない。
すきな時間に、
好きなだけ食べれば良いよ。

身体が求めたときが一番おいしい。

だから、安心して。

きょうもおつかれさまでした。
おやすみなさい。