見出し画像

初音ミクと駆け抜けた青春

2007年8月31日、彼女が目覚めたとき、私は中学2年生だった。
界隈では涼宮ハルヒが覇権をとり、全国各地にSOS団支部が誕生し、秋葉原のホコ天でオタクがこぞって晴れハレを踊る、そんな時代だった。

初音ミクが、この世に生を受けたのだ。

「ボカロ」をいち分野にまで成長させ、今では唯一無二の存在となった初音ミク。ここで、彼女が今まで走ってきた道のりについて、私の好きな曲を交えながらふり返ってみようと思う。

メルト

はじめに知った有名曲は何だったか、と考えて思い当たったのがメルトである。YouTubeへの投稿が主流となりつつある現在とは異なり、ボカロ楽曲の投稿はニコニコ動画が主流だった。ニコニコ動画はYouTubeと異なり、ユーザーからのコメントが投稿タイミングに合わせて画面上に流れる。その仕組みを使って、コメントで画面に弾幕(のようなコメントの嵐)を張るユーザーがおり、彼らのことは「弾幕職人」などと呼ばれていた。ボカロ曲も例に漏れず弾幕の対象となっていた。再生されているボカロ楽曲の盛り上がりに合わせて職人の弾幕も密に、鮮やかになっていく。メルトのサビにも弾幕が張られている。「㍍↩︎」と書いて「メールト」と読ませる。「メールトとけてしまいそう」とサビが始まった途端、画面がユーザーの打った「㍍↩︎」弾幕で溢れかえる。もともとのPVは何も見えなくなる。でも、それがいいのだ。

初音ミクの消失

同時代に有名になった曲として、初音ミクの消失が挙げられる。
年代が被るので些か迷ったが、個人的にこちらも非常にボカロを象徴する曲と考えたので、取り上げた。
ボカロ曲の他にない特徴としてあげられるのは、
1、これでもかと言うほど詰め込まれた歌詞
2、人間には非常に歌い辛いメロディーライン
3、初音ミクのキャラクター性を尊重した歌詞
この3点である。
聞いていただければわかるかと思うが、初音ミクの消失は、曲のテンポが非常に速く、そのテンポの一拍をさらに3等分するようなリズムで歌詞がわーっと流れてくる。息継ぎする暇すら与えられない。
歌いづらいのはそれだけではない。サビ部分こそそこまでマシンガン的に歌うわけではないが、その代わり非常に高音域で、ソプラノシンガーでもちょっときついんじゃないかな、という気分にさせられる。
また歌詞自体が、初音ミクが自身の境遇を歌っているような設定になっている。
消失していく様子をミクが歌い上げるさまは、さながら公式キャラクターソングかのようである。
※この楽曲は2018年に作者がリメイクを行なっており、公式公開されているのはこちらのバージョンとなる。

SPiCa

その後、私は多感な中高生生活を経て、2012年に大学生になった。
通じて、初音ミクは、いつだって私のそばにいた。
ボカロ曲に共感し、励まされ、背中を押されてきた。
どんな時だって、イヤホンの先には必ず彼女がいた。
変わらない存在が、私にとって安らぎとなった。

大学のサークル仲間でキャラのコスプレをする事になった。
その際に昔から親しみがあるキャラの、初音ミクを選んだ。
当時、特に深い考えはなかった。
約10年が過ぎた今でもその衣装を時折着用しようなど、つゆぞ思いもしていなかった。

初音ミクのコスプレをして、更に彼女が好きになった。
彼女のもつ透明な歌声に、より魅了されるようになった。
それからは、ボーカロイドのコンサートにも顔を出すようになっていった。
雪ミク目当てに北海道へ毎年のように行くようになっていった。
どちらも彼女がいなければ全く縁がなかっただろう。
彼女がいれば、どこへだって行けるような気がしていた。

彼女は、私にとって、暗闇を照らす星のような存在だ。
SPiCaは、他に列挙した楽曲ほどの著名度はないが、個人的に非常に思い入れがある曲だ。
この曲をコスプレしながらダンスで披露する話が持ち上がった時期に、人生で大事な選択を迫られていた。
卒業後の進路についてである。

選択を誤れば、何かを失ってしまうかもしれない。
全てがダメになってしまうかもしれない。
決断を前に不安に押しつぶされそうになっていた私を支えて、前に進めさせてくれた曲だ。
私にとっては、この曲自体がスピカそのもの。
心の中を、今でも確かに照らし続ける。

テオ

ボカロに象徴的なものとして、「歌ってみた」「踊ってみた」文化が挙げられる。
もともとボカロ曲として存在する曲をセルフカバーしたり、振り付けを作って踊ったりする創作文化である。
私も、初音ミクのコスプレをしてテオを「踊ってみた」ことがある。
舞台を借りてグループで踊ることとなったのだ。
練習はとてもハードで、個人の振り付けもそうだが、グループ内の息を合わせるのにも非常に苦労した。
グループのうち1人でもズレると、途端に全体の統制が取れていないように見えてしまうからだ。
そして私自身も初音ミクとしてセンターで踊る緊張や責任感が重くのしかかってきていた。

本番当日。
それは、鮮やかな一瞬だった。
舞台に魔法がかかったかのような、誰をもが息をのむひとときだった。
魔法が解けるまで、もう少しだけ、このまま、、!
手を、手を!
青春の輝きを、全身で受け止めさせて!!

あの空間はきっと、初音ミクと繋がっていた。

「歌ってみた」文化を通して、昨今有名となった歌手の多くが誕生している。
ボカロの流行もあり、優良な楽曲がネットで簡単に手に入る環境となったことは、確実に日本の音楽シーンへもインパクトを起こしているだろう。

アンノウン・マザーグース

聞くたびに、胸が苦しくなる。
この曲の作者は、もういないからだ。

音の渦に巻き込むようなパワフルな作風が魅力的なwowaka氏。
数年前に、急死した。
おそらく、過労だったと言われている。
彼の訃報を知ったとき、何も考えられなくなった。そして、気づいたら涙がボロボロと溢れていっていた。
もう、彼の音は流れない。
もう、新曲が出ることはない。
それは、いちアーティストを喪うことでもあったが、同時に初音ミクの一部を永久に喪うことでもあった。

時は過ぎ、その年のマジカルミライのアンコールにて。
アンコールを待つ我々のコールは、いつも通り鳴り止まない。
コールを受けて演者たちが席に戻ってきた。
その時。
突如聞こえた、懐かしい音の渦。
モノクロ基調が特徴的な幾何学MVのダイジェスト。
wowaka氏の曲が追悼として流されたのだ。
はじめ、私はあっけに取られていた。
そして、気づいたらまた涙を流していた。
それは彼を悼む気持ちもあるが、それ以上に彼への感謝の気持ちが大きかったように思う。
彼は、確かに、幕張メッセのホールを一体にするほどの音楽を遺していった。
もちろん、こんなに早くいかないで欲しかった。
でも、それ以上に、彼を追いかけてクリエイターとして精進していきたい、と思う気持ちが大きくなっていた。

初音ミクは死なない。私たちがいる限り。
誰かを喪っても、初音ミクは曲を歌い続けられる。
命なきボーカロイドとしての一つの着地点かもしれない。そう思った。
「あなたには、僕が見えるか?」
大丈夫。ちゃんと見えてる。あなたがみんなを繋いでるから。

最後に

こんにち、残念ながらボカロはそこまで盛んな文化とは言えなくなってきた。
歌い手たちのメジャー化、メジャーレーベルでのストリーミング音楽配信の普及、Vtuberの台頭などなど、要因は様々考えられるだろう。
しかし、ボカロは、確実に音楽の新しい道を拓いた。
ボカロなしに今の音楽シーンはあり得なかったのではと思うほどである。
もしボカロが仮歌の歌姫へなったとしても、彼女ら、彼女らへ愛を注いだ者達の軌跡は、今後もずっと受け継がれてゆくことだろう。

最後まで読んでいただきありがとうございます! こんな感じでちょっとズレた記事を掲載していく所存ですので、気に入ってくださったらぜひスキ・サポートのほどいただけますと励みになります!