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この物語も、いつか私を救う

『物語に救われた』という経験をしたことはありますか?
私は何度もあります。
辛い時に、ちょうど似たような状況の主人公が
現実に打ち勝っていて救われた気持ちになる……
というのは勿論のこと、
現実が辛くても、私はフィクションを楽しんで
メンタルを回復できるのだ……という避難所として
認識して救われていることもあります。
今回はその、前者のお話です。

最近の私は、傷を受けることが多くて、
正直なところフィクションを楽しむ余裕がありません。
ようやく本を読み終えても、
感想をまとめる元気もありません。
「もう少し回復してから書こう」と先延ばしにして、
下書きに眠っている感想文が2つあったりします。

本を読み始めれば元気になることは分かっています。
現実が辛い時は、現実から離れて楽しめるものがあると
生きるのが楽になることも分かっています。
でも、本を読み始めることが出来ない。
本を読むより、自分を休めることが大切だったり
本を読むより、優先しなきゃいけないことが多かったり
理由は様々ですが……。

それでも最近『物語に救われた』という経験があります。
正確に書くなら『かつて読んだ物語に救われた』のです。
今回私を救ってくれたのは『詩と散策』です。
(物語というか、エッセイなのですが……)
特に最近読み返したわけではありませんが
鮮烈に覚えている感覚というか、予感を思い出したのです。
「この著者は、過去に相当深い傷を何度も負っている」
というものです。
明言されていないだけで、きっと深い傷を負ってきたのだと
想像させる余地が沢山あるのです。

そして私は、そこに救われました。
というのも、私は『詩と散策』を読んで
「著者のこの豊かで瑞々しい感性は、
過去の傷を時間をかけて丁寧に癒してきたから
磨かれたものに違いない」と思わされたのでした。

傷も悪いものではない、と思わされる1冊でした。

今の自分も、容赦なく傷を受けて苦しくなるけれど
この傷もいつか自分の感性を磨くのだろう……と、
不確かながらも期待を持つ助けとなりました。
これから受ける沢山の傷も、(避けたいとは思いますが)
そこまで怖くなくなりました。

こんなふうに、『これまで読んだ物語が自分を救う』
ということも、しばしばあります。
これまで読んだ物語のなかから、
今の自分に似たような人たちを思い出して
その人たちの戦い方や足掻き方を心の支えに
私もできると勇気を振り絞るようなことがあります。
その時に物語を読む元気なんてなかったとしても、
その物語を読んだ経験が、助けてくれているのです。

本を読む理由なんて、私の中には沢山あります。
(「楽しいから」というのは大前提です)
そんななかで、本を読む理由のひとつに
「この物語も、いつか私を救う」という期待
加えられるかなぁと思う出来事でした。

それでは、またお会いしましょう☁️

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