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コロナ

モワモワする意識の中で、考えるのを辞めてみよう、と薄い決意を固める。
ぼーっと、写真アプリとも違った媒体になったインスタの動画を無限にスクロールする。可愛い女の子が金髪の母親と自分を交互に写し、小さく演技をする。ボートに乗った男女の一人が転げ落ちそうになり、全員が息を呑む。悪戯だ。賢いネコが飼い主のベッドメイキングをしている。

永遠と続く誰かの面白い日常と完璧に作った表情や恋愛を秒数に納め、それをただただ眺めている。

馬鹿らしい。

そう気付いたときには時計はもう1時40分を回り、眠気も飛んでしまった。

「何か、中毒になっているものはありませんか。」という問いに、首を横に振ったのを思い出して、唇を噛んだ。これだ。この小さな電子機器に振り回されている。


寝て、起きて、食べて、少し本を読み、友達と連絡を取り、映画を観て、寝る。そんな日が続いている。

私は考える。

休んできたバイトの事、断らなくてはならなかった大切な仕事の事、増えに増えた部屋に溢れかえる色ばっかり濃く、価値を無くした物の事、汚れたベランダの事、返信がなくなったあの人の事。
咳が考えを中断させる。
咳と共に階段のように上がってきた思考の細工がバラバラと崩れるようだ。地面から大きく強い衝撃で、骨組みだけが残る具合なのだ。


暑い。毛布をかぶれば暑いし、被らなければ、よくなりそうもない。
狭いベッドの中で苦しくバタバタと2、3分ごとに体制を変える。
まるで、スピーチをする前みたいに喉が渇く。サイドテーブルにあるいくつかのグラスに水を注ぐ。少し溢した。どうでもいい。布巾で拭く。
水はいい。喉をスルスルと通り抜けていく。


考えるのを辞めよう。

身体に良くない。

イヤホンを耳に差し込んで哲学者のインタビューを聞き始める。
まず、その履歴から始まった。名を残す人の履歴はすごい。つまらない言葉だ。すごい。
哲学者が話し始める。勉強し続けた人の、考え続けた人の特徴的な長く複雑な分列で自身の子供時代と哲学理論の結びつきを話している。


脳のスイッチはすぐに切れた。考えるのを辞めるなんて簡単だ。


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