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斯くも生きづらいINFJよ

 人間は完璧じゃないから美しい。そう心底思っているのに、自分にだけは完璧を求めてしまう。自分だけはなんとなく世界の真実を掴んでいるような気になっているから。だけどそんなことはただの勘違いで、プライドがそう思わせているのかもしれない。

 人付き合いが大事だとわかってる。ただの日常会話が仲良くなるために一番必要だっていうことも。なのに、どうしてこんなに苦しくなるのだろう。話題を探すのに頭をフル回転して、この人はどんな話題なら興味があるかな、会話に乗ってくれるかな、どう話を進めたら心地よい時間を過ごせるだろう、このトピックでどれくらい時間を保たせられるかな、着地点はここら辺がいいかな、反応がイマイチだったら次はどう切り出そうか…これらを感覚で頭の中で広げて、こねくりまわして、なんとか言葉にして口から出す。これが複数人になると、その分膨らませなくちゃならないから、私の頭は処理落ちしてしまう。みんなはどうやっているの?コツがあったら教えてほしい。

 始まりを考えた時に、終わりを考えるくせがある。だから計画を立てるのに時間がかかるけれど、懸念すべきところが始める前に何となくわかる。それをうまく説明できればいいのだけれど、感覚的なところがあるから相手に理解されるに至らず、そうして大体その通りの問題にぶち当たり、やっぱりなあとこっそり思っている。でも、それは自分だけで、相手の方々は以前自分が伝えていたこともすっかり忘れているのである。理解されていないのだから、当たり前だけど。

 誰かの『自分では気がついていない本心』がなんとなくわかってしまい、いつもなら流したり、言って欲しそうな言葉を言ってみたりするけれど、自分ではない誰かが不利益を被りそうな時は、その本心を突くような言葉を言って牽制しようとする。その時は攻撃と思って言ってるからいいのだけど、相手自身が変わるきっかけになれるだろうかと思う時に言う言葉は、よく失敗してしまう。逆上されたり(もはや話を聞いてくれなくなる)、第三者に反撃を食らったりして(あんたもそうじゃん、って急に話に入って来られたり)、自分も傷つくことも多い。傷つけたい訳じゃないからなるべく鋭利じゃない言葉を選ぼうと注意しているぶん、自分が思っている以上にきつい言葉だったという事実と、自分が言おうとしていた言葉が違う意味で伝わってしまったという事実が、二重に突き刺さってきついんだよなぁ。正直に言うと、私が選んだ言葉はそれを伝えた相手だけのものであるので、第三者に割って入られるのは心外なのだけれど、二人きりの時に言わなかった私のミスでもあるから自業自得とも思っている。(でも…やっぱり心外!)

 そんなことを人生の中で何度も繰り返していると、なんとなく諦めに近い思いを常に持つようになる。誰かに期待することもしないから、裏切られたという気持ちにもほとんどならない。だからこそ、穏やかだとか、癒されるとか、のんびりしているとか、そういう雰囲気をまとっているように思われるのかなと思う。日々凪いだ心で過ごしたいのでその評価は心底ありがたいし、私が目指している世界そのものなので大変満足である。けれど、その裏で、その空間を維持するためにどれだけの神経を注いでいるか、きっと理解できないのでしょう、とは思っているけれど。でも、こんなことを思っているなんて、知られたくない。

 理解されたいけれど、自分の薄汚れた場所は見て欲しくないし、察することすらして欲しくない。そんな風に願ってしまうのです。

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