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10年越しに叶ったこと

こんばんは、久々に夜更かししております、安達です。
なんだかんだ、11月note更新しておりませんでした。
本当にバタバタとしておりまして・・・。
やっとこさ落ち着いてきました。
ということで、更新します。
いつものごとく分かりづらいタイトルですが、11/1~5まで上演していた『ANJIN』についての記事です

専門時代の私について

時はさかのぼり、約10年前、21歳の私。
私は高校卒業から3年制の演劇の専門学校に通っていました。
今の私よりだいぶ尖っていて(今もだけど)、同期のやる気ない人間は全員お芝居辞めろとか思っていました。
当時私が毎週楽しみに、というかその為に通っていたと言っても過言ではない授業がありました。
なんという授業名だったか忘れしまったのですが、
主に授業で課題のシーン(短いページ数で2人でやるようなもの)をやるような授業でした。
生徒達は自分でペアを見つけ、個々で授業外の時間で作り上げ、授業中に講師に見せる、という内容。

その講師が『ANJIN』の作演出であり、相手役の義一役の梶原さんでした。
この授業で言われたことがとにかく新鮮で通常だったら『え?それはセオリーとして変じゃないか?』ということを言われるのです。
例えば喋っていることと全然違いことやってみてとか。
今でこそ、意図は分かるのですが、当時の自分は『?』と思いつつ、やり、魔法にかけられたかのように”固定概念”の縄から自由になっていったのを今でも覚えております。

私にとって梶さんは魔法使いなのです。

シーンワークの他にモノローグ(=一人芝居)のターンもありました。
私は戯曲の一部の長台詞を使って挑んだのですが、その時に言われたのは『そういうの分かったから、まったく違うシチュエーションでやって』というようなオーダー。
とっても暗いシーンだったのですが、とっても明るく(空元気)にやるという真逆の方向でやり、
『本当に固定概念に縛れていたんだな』
と実感。
それまで、このシーンはこうやるのが正解だろう、という考えをしていましたが、
これもあれもできるし、こういう前提だったらむしろこれの方が生きるこもしれないとか、様々な可能性を感じました。

『演劇って自由なんだ』

なんて素敵な時間なんだ!
あっという間の90分(確か1コマそのくらいの時間だった)なんだろう!
私はこういうお芝居がやりたいぞ、と心に留め、卒業していきました。

何度もタイミングはあったのに挑戦しなかった

そんなこんなで卒業し、昔から知ってくださっている方はご存じの通り、東京の所謂小劇場というところで、がむしゃらに出演していきます。
実はその間にも梶さんの団体に出演できそうなタイミングは何度かありました。
でも実のところ、とても怖かったのです。
私的に芯は梶さんに教えていただいたことですが、色々巡っていくうちにぶれていっているのではないだろうか。なうで教えていただいている訳ではないし、今の私では全然太刀打ちできないのではないだろうか。

つまるところ、全く自信がなくなってしまっていたのです。

学生特有の当たって砕けろの期間はとうに終わってしまっていて、
むしろ、このまま演劇を続けていていいのだろうか、とさえ考え始めている自分がいて。
そんな自分がこの団体の門を叩くことさえおこがましいとさえ思ったりして。
梶さんの前には何でもお見通しなので、それも見透かされてしまうんじゃないかと、何度もチャンスをスルーしてきていました。

ド緊張してオーデションに行く

そんな期間を経て、私は事務所を退所する決断をする。
(これについてもいずれ詳しく書いていきたいとは思うが、今はそのタイミングではないので割合する)
フリーランスになり、事務所からの案件もなくなり、オファーも減る。
良くも悪くも時間ができました

『何かに飛び込むのなら、今なのではないか?』

そんな声が聞こえてきて、たまたま、GROUP THEATERのオーデションの案件がSNSに流れてきた。
すぐに『わっわぁっ!』となるものの、色々なことを考え始める。
主に『今の私は太刀打ちできるのか?』『他の案件が入ったら?』
締め切りのギリギリまで悩んで、締め切りギリの時間にえいやとメールを送信した。
そしてオーデションテキストが送られてきて、オーデションにぶるぶるしながら行くことになる。

結果は合格

正直ここ最近のどの事象よりも嬉しかった。なんだかこの先何年も生きられる保証を手に入れた気持ちだった。
ここで頑張らなくては。
ここで転ぶのであったら、私は今後演劇は続けられないと思った。
いや、正直続けられるのかもしれない。
けど前ほど情熱をもって取り組むことができない。
情熱がない演劇ほどつまらないものはない、それはもう綺麗さっぱりやめるべきだと私は考える人間なので、稽古始めの時はそれはもうドキドキしながら行った。

嫌な癖:俯瞰して採点する

話は変わるが私は自分がお芝居している時、幽体離脱したかのように少し頭上から自分が観客として見ていて『今のは嘘36点!』みたいな、ほぼリアルタイムでの自己採点をするタイプである。
これは学生時代からの癖(というか、高校時代に出演しながら演出もやっていた為、そういう思考になったんだろうと思われる)があり、いい作用と産むときと、最悪に転げ落ちていくパターンとある。
いい作用としては、自分である程度コントロールできるという点。まあ、演出の方向性を完全に理解しており、それにそぐったお芝居ができているかというジャッジをほぼリアルタイムで軌道修正をしていくのである。
悪い点では、目の前の相手にあまり集中していない状態(自分の採点をしているため)、その場を生きているかと聞かれると微妙という点である。
学生時代にこのことを確か梶さんに指摘されていて、なるべくいい意味でぶん投げるようにしている(やり出したことに対して追い求めすぎないということ)。
コイツは今回も時折現れて、私の心をかき乱していった。稽古を過ごしていくにつれて、やはり”その場を生きている人”が魅力的で何度悔しいと思ったかわからない。これは今後も課題だとも思う。

つまり何が言いたかったの?

今作がとっても楽しかったということ。
そして私が楽しい!と思うお芝居を私のことを応援してくださっている方に見ていただけたということ。
これが何より安達優菜としての幸せだと思います。
今後も梶さんに教えていただいたことと、今回の座組で感じたことは、一生の宝物だと思って、それをもってお芝居を続けていたいと思う。
けれど、現場や人が変われば対応していくけれど、芯はここでいたい。
10年経ってまたここに立つことができて、またリスタートの気持ちもあり、パワーアップな気持ちもあり。
とにかく、このタイミングで飛び込んでよかった!と心から思っています。

長くなってしまった。
とにかく、このタイミングでの今作を見届けてくださった皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございます!

また改めて演劇の世界に飛び込んでいきたいと思います。

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