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〈『長月にとって』 と 「誰かにとって」 の違い〉

皆様 おはちゃです。長月でございます。
  昨日 長月の学校では 修了式を行いました。長いですよね、こういう 行事って。
 しかし 今年度は 短く終わるという、長月にとっては とても喜ばしい事でした。
(めちゃ はやく帰れる!!)
 ところが 友人にとっては 短く終わった修了式、嬉しくはなかったみたいで。 理由を聞きますと、「通学時間の方が 長いやん」。わかる。わかるけど…。「早く終わったら 終わったでええけど …学校来る意味ないやん…」との事。 学校にいる時間 より 通学時間の方がはるかに長いのだから、行きたくなかったのでしょう。

…と このように 『長月にとって』の嬉しい! は 必ずしも「友人にとって」も嬉しい!には ならぬのです。
今回は 修了式の時間の善し悪し でしたが、

本日の 題。
〈『長月にとって』 と 「誰かにとって」 の違い〉
 「はて、なんの事やら。」とお思いでしょう。 よく 主語 吹っ飛ばして 題を考えてしまうのです。ゴメンナサイ。
 コホン。失礼いたしました。
 では 主語を入れて、〈『長月にとってのゲーム』と「誰かにとってのゲーム」の違い〉
 なぜ この題にしたかというと…

はい、特には深い意味はないです!
単に 長月が気になっただけです!

『周りの人にとっての ゲームってどんな存在なんだろ。…考えてもわかんない。よし!聞いてみよう!』
 先日 Twitter の方でもしたのですが、その他にdiscord、そして 本日の修了式で 学校に来ていた友人たちに聞いてみたのです。

『あなた にとって ゲーム は どんな存在?』と。

 友人たちの答えの前に まず 長月にとってのゲームとは。 お話したいと思います。

『長月にとっての ゲーム』 とは、

勇気をくれたものです。

 幼き頃は 活発で 時間があれば 外に遊びに行っていた長月は 小学校高学年になるにつれ、人との会話がとても 怖くなっていきました。当時、いじめられていたこともなく、クラスメイトと楽しく遊んでいました。ですが ある日 思うように 話せなくなってしまいました。理由も わからず 《話したいのに言葉が直ぐに出てこない。友達を待たせてる。はやく話さないと。はやく。》 そう思えば思うほど 言葉は出てこず、不思議に思ったクラスメイトが 「大丈夫?」と声をかけてくれました。 それ以降のことは 覚えてません。頷くだけで 済んだのかもしれません。

 それ以来、人と話す時 緊張して 口が動かなくなったり、頭が真っ白になったりするようになり、終いには 正門を通ることすら 怖くなっていました。

 《もう 家帰りたい。話せないよ…》そう思った 幼き長月 の 逃げ場になったのは ゲームでした。

 のめり込んだのは ポケモン。

 幼稚園の頃から 大好きで お出かけの時 ポケモンセンターに行かないと知った時は 大号泣でした。  …本文に戻ります。

 小学高学年なので…2013 , 14年あたりでしょうか、タイトルは【XY】【オメガルビー・アルファサファイア】ですね。

 今までになかった ローラースケートだったり、建物の見え方が 前作【ブラック2 ・ホワイト2】と全く違い、立体的な 街の作り。本当に美しいと思いました。 《この世界が現実ならどけだけいいか。》それしか 考えていませんでした。

 それでも 学校には 通い続けていた ある日、クラスメイトが ポケモンの筆箱を持っていたんです。ふと思い出したのは ポケモン アニメの主人公、サトシ。元気に そして 真剣に話したいってずっと思っていて今まで溜めてた誰かと話したい欲が つもりに積もって「ポケモンッ…好きなの?」と話しかけました。 めちゃ怖かったです。答えてくれるのかなって。 声が震えていたけれど、 クラスメイトは そんなことお構い無しに 「俺ね、このポケモン好きなんだ!」と。

 ずっと 話し続けてるんです。好きなポケモンについて。 『わかる!』『カッコイイよね!』 『あー、でも このポケモンはどう?』

 いつの間にか話してました。すっごく楽しかったです。久々に表情筋痛くなりました。

 ポケモンを見ていなかったら 《サトシみたいに話したい》って思ってもなくて ましてや自分から話そうなどと思いもしません。ですが ポケモンがあったから 《あんな風に》と思える存在があったから 長月は 勇気をだして 話しかけることができたのです。 

ゲーム内のセリフ は 何とも不思議で、自分に話しかけていないのに 話しかけられているような感覚になって 勇気づけられるんです。いつの間にか。長月の場合 ポケモンに勇気づけられました。 長月は ゲームに勇気をもらいました。

では 友人たちにとって ゲームとはどんな存在なのか。

どんな存在 か、 と その理由。

ある人は、

俺にとってのゲームは 今の自分を作った人と自分を繋げる存在。
彼は いじめを受け ゲームに逃げたと。でもそこで 信頼できる、尊敬できる人と出会う事ができた。なぜそれが出来たのか。
 ゲームという存在があったから。

また ある人は、

「友達を作れる存在」

保育園の頃に 友達を作るきっかけになったと。

『今日〇〇の家でゲームしよ!』と。

最終、何が言いたいのか。

ごめんなさい。迷走してます。

 この記事をここまで 読んでくださっている あなた の周りに もし、「ゲーム? 頭 悪くなるだけだ」とか 「遊んでも意味ないよ」と 言う人がいたら、
ゲームで 勇気もらった人とか 友達作るキッカケになった人もいるらしいよ』って 話してください。

 長月もします。そして ゲームへの 印象を少しでも良くしていきましょう。

 長月は この日本で ゲームへの印象が 好印象に 変わるように これからも 綴っていこうと思います。

 まだまだ 拙い文章ですが、書く練習を頑張っていこうと思います。

最後まで 読んで頂きまして、ありがとうございます。

また 別の記事で お会いしましょう。

では また。長月でした。

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