私という人間の変化について

私は大学に入り一人暮らしをするまで実家のある田舎町でしか暮らしたことのない人間だった。

大学に入ると同時に、親元を離れて、地方の政令指定都市に1人暮らしを始めたのだった。

私の住んでた田舎町よりかは幾分か都会なその街で私はいろいろなことを学んだ。

アルバイトをしてお金を稼ぐことを、お酒の飲み方を、女性との接し方を、夜の街での遊び方を、大学の友人らとの少しビジネスライクな関係を、学んだのだった。

もとより私は田舎町に生まれ、家はさして裕福でもなかった。どちらかといえば貧乏であった。

そんな私が大学生活の始まりにおいて、使える金額の幅が増えるアルバイトに熱中したことは自然な流れだったと言える。

アルバイトを掛け持ちして働き、週に7日、多い日は2つのアルバイトを梯子し、1日に15時間の労働をしていた。

一人暮らしを始めた当初は自炊や洗濯、部屋の片付けに時間を割いていたものが瞬く間に変貌していった。

ご飯は賄いをもらうことがあるために外食とコンビニ飯が増え、エンゲル係数は鰻登り、

部屋にはものが溢れ、部屋の中の生活圏を除いた場所は埃が積もったあれやこれやが溢れ返った。

稼いだお金を長期休暇に旅行と称して溶かしまくり、あちこちの地方都市や首都圏の飲み屋に連日入り浸り、うまそうなものを食べ散らかした。

こんなお金の使い方を、楽しみ方をできたのは生まれて初めてであり、

その快楽に簡単に囚われた若き日の私を今の私は責める術を知らない。

この快楽サイクルは実に3年近くの歳月を切り取り、多くの愉快な思い出をくれながら着実に僕の若く尊き時間たちを蝕んでいったのである。

しかしこの生活の恐ろしいところはそれだけではなかった。

3年の歳月が過ぎ去った私は大学も4回生に差し掛かり、就活やら卒業要件・卒業論文やらが差し迫ってきたのである。

ここまでの私の生活を読んだ皆様にはお察しの通り、私は私生活のみならずそこら辺をも犠牲にしていた。

私の入った学部は恐ろしいところで4回生まではどうやっても上がれるのだが、そこから出れるかどうかは別問題と言わんばかりの卒業要件が待ち構えていた。

無駄に入り組んだ卒業要件を確認することすら怠っていた私はいよいよ追い詰められた局面において、ただただ不安が渦巻いていた。

昔から思った通りに生きてきた私はストレスというものとは無縁に近い生活を送ってきたと確信に近いものを持っていたのだが、どうやらそれは語弊があったようだ。

ストレスを溜め込みやっつけるように捌いてしまおうという、なんとも燃費の悪い生き方の性質だったらしい。

そんな崖の淵に立たされて背中からは追い風いっぱいの私に残された武器(現状)は燦々たる華々しさであった。

完全に乱れ、朝寝夜起きの生活習慣。バイトの有無に関係なく、家計簿に堂々たる存在を示すエンゲル係数たち。4年間の蓄積を感じさせる部屋の劣化と不備。少し邪魔ではあるものの部屋一面に所狭しとかけてある服たちだけが私の実りある成果のようだった。

この状況下で迎え撃つは、単位数不足により授業を複数とらざるを得なかったために、オンライン授業化により烈火の勢いを持ってして迫りくる日々の課題。卒論提出締切日がじわじわと忍び寄るゼミの課題。3つの掛け持ちによりどれだけ最小限のシフトにしても働かざるを得ないバイトたち。

なるほど。

こうして人生の帰路に立たされた時に人は自身の行動と歴史、人間性を振り返り、学習をするのだ。

こいつは深い学びを得てしまったようだ。。。


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