見出し画像

コロナで体は消耗したけど、心は回復したこと。仕事と私の関係。

ある朝の発熱により、いきなり社会と断絶されてから本日で9日目。東京都からは二日前に療養解除が言い渡され、仕事は明後日から復帰する予定だ。今はコンビニで買ったコーヒーを飲みながら、ぼんやりと街ゆく人と青空を眺めている。

そもそもコロナ療養に入る前、私は退職を申し出ていた。今年の春、転職したばかりの職場では分不相応な役職を与えられ、日に日に消耗していった。それでも、誘ってくれた代表の期待に答えたかったし、慣れればどうにかなるとも思っていた。

だから、会議で代表から理不尽に大声で叱責されても、他部門の管理職から腹黒い政治をされても、部下が文句ばかり言っていても、全員休みの日にお客様用の窓口となる電話を持たされても、夜に眠れなくなっても、黙って耐えていた。しかし、古い友人をリストラする業務を与えられたときに、心の中でプツっと何かが切れる音がした。私はその翌日に12月いっぱいでの退職を申し出たのだ。

しかし、代表は、そんな私を責めるでもなく、私の生活を案じて、しばらく休んだらよいのではないかと提案してくれた。

私も少し弱気になった。我慢も必要なのではないか、みんな我慢しているじゃないか。私はこのあとどうするんだ。何もプランがないじゃないか。。。

代表に一月だけ考える時間がほしいとお願いした。

しかし、その後、再度私は考え直した。私のポジションは空席になって良いものではないし、出たり休んだりできるなんておかしなことを上司がしていたら部下に示しがつかないではないかと。同僚にはやはり辞めるということを伝え、代表には時期を見てもう一度退職の旨を伝えようと考えていた。

そんな中でコロナに罹患したのだ。そして、39度以上の高熱に浮かされているときに同僚からラインがきた。退職するなら会議の議題に載せなければならないが、代表は退職しないと言っている、電話をしても良いか?と。

そうだ、私はまだ代表に伝えていなかった。しかし、コロナですでに声が出ていなかったし、電話で退職の意向を伝えるのは失礼だとも思った。いや、嘘だ。私はまだ心がグラグラと揺れていたのだ。答えられずにいると、私の心情を汲み取って、同僚は来月の会議までいったん保留にしようかと提案してくれた。私は、お願いしますと返事した。また、いったん引き伸ばしたのだ。

そして今日、久しぶりに外に出てみた。行き交うサラリーマン、公園で子供を遊ばせるお母さんたち。みんなそれぞれの生活をしている。

私は学生時代が終わってから、思えば働き詰めだった。こうやって日中に人を見ているなんて初めてのこと。社会のレールから外れてしまったような感覚がある。でも、不思議と不安や寂しさはない。そういえば、不眠は解消された。コロナに罹患した翌日、電線の雨粒を見て美しいと思った。景色を見て感動するなんて、この職場に来てからなかったのに。

やはり、しばらく止まろう。戻りたくなったら社会に戻ろう。会社は辞めよう。私は息苦しかったのだな。そんなことを考えたコロナという病気の期間と今日のこと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?